文春文庫<br> 瞼の媽媽(マーマ)―自力で帰国した残留孤児の手記

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文春文庫
瞼の媽媽(マーマ)―自力で帰国した残留孤児の手記

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  • サイズ 文庫判/ページ数 504p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784167901745
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0195

出版社内容情報

日中の国交が断絶していた時代、歴史に翻弄されながらもうひとつの「戦後」をたくましく生き抜いた残留孤児が記す、運命の物語。

1970年、日中の国交が断絶していた時代に、
自力で奇跡の帰国を果たした青年がいた――

4歳に満たぬうちに満州で両親と生き別れ、
貰われた先の中国人の養父母に、
貧困の中でも、愛情をもって育てられた孫玉福。
しかし大学受験を目前に、共産党に心のすべてを晒し出す「交心運動」が激化し、
級友に日本人であることを強くなじられる。
日本人としての苦悩は強まり、履歴書には日本民族と書き入れた玉福。
結果、大学は不合格。貧しい農村から必死の思いで高校に進み、
立身出世を夢見ていた青年の生活は激変する。
日本民族と選択した以上、本当の両親、そして日本という国に触れたい。
玉福は赤十字へ手紙を出し続ける。

文化大革命が起こり、日本人仲間は「政治学習」という名の下に刑務所に連行され、
職場では次々と吊るし上げが起こる。当局による玉福への監視、
そしてドラマチックな進展を見せる親探し……
歴史に翻弄されながらもうひとつの「戦後」をたくましく生き抜いたひとりの男が記す
凄絶な運命の物語。
手に汗握り、涙する、一気読み必至の一冊です。

解説は、『大地の子』や『遥かなる絆』などNHKの名ドラマを手掛けた岡崎栄さん。

内容説明

1970年、日中の国交が断絶していた時代に、自力で帰国する―4歳に満たぬうち満州で日本の両親と生き別れ、「孫玉福」として貧しくも養母に愛情をもって育てられた著者だったが、大学受験を前に生活は激変。歴史に翻弄されながらもうひとつの「戦後」をたくましく生き抜いたひとりの男が記す凄絶な運命の物語。

目次

第1章 悲運の中で
第2章 南屯と北站の思い出
第3章 海林中学の三年間
第4章 激動の高校時代
第5章 岐路からの再出発
第6章 彷徨える日々
第7章 自分の決めた道を行く
第8章 祖国日本を目指して
第9章 帰心矢の如し
第10章 第二の人生を生きる

著者等紹介

城戸幹[キドカン]
1941年、旧満州東北部の三江省富錦に生まれる。1945年8月、終戦の混乱により両親と生き別れ、牡丹江市の北に位置する頭道河子村で中国人夫婦の養子となる。以降、戦後混乱期の中国を「孫玉福(スンユイフー)」として生きる。1959年、日本の実の両親を探し始め、日本赤十字社等への手紙の投函を開始。1962年に公安局から戸籍の選択を迫られ、中国籍から日本籍に改める。文化大革命の中を日本人として生き抜き、ついに1970年に日本の両親と再会を果たした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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hatasatohito

2
中国残留孤児にとって、国交正常化前の早期帰国がいかに困難だったか、改めて学んだ。自らに課せられた過酷な運命に対して、ここまで冷静になれるものなのか。若年時から日記を付け、自らの行動と考え、自分についての情報や記録を的確に分析して、目標に向かう姿には驚嘆するばかり。そんな筆者だからこそ、早くに実親を見つけて帰ることができたのだ。大学入試の失敗を機に、自分の本来いる場所を求めて肉親探しをはじめるが、もし上手くいっていたらどうなったのだろう?大陸で人生を全うするという選択も当然あったと思う。2015/07/23

Ryo Sogawa

1
日本に帰国した中国残留孤児の自伝2023/03/18

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