出版社内容情報
父が呆けたと兄から知らされ、実家へ戻ってきた幹夫は、介護のプロ・佳代子と出会い、父との暮らしの中で新しい世界を知っていく。
内容説明
父が痴呆症で徘徊をするようになった。ミサコという人を探しているらしい。記憶が断片になり、ある時は小学生、ある時は福祉課の課長にと次々変身する父に困惑する幹夫。だが介護のプロの佳代子に助けられ、やがて父に寄り添うようになり、ともに変化してゆく。無限の自由と人の絆を、美しい町を背景に描く。
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956(昭和31)年、福島県三春町生まれ。安積高校卒業後、慶應義塾大学文学部中国文学科卒業。さまざまな職業を経験した後、京都の天龍寺専門道場に入門。現在は臨済宗妙心寺派、福聚寺住職。2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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はつばあば
65
若い人にはとてもいい読み本となるだろう。今直ぐにでもなってもおかしくない認知不全。なりたくはないが先の事などわからぬ。頭がしっかりしてても寝たっきりのようになっても困る。我が娘ならオトンが・もしくはオカンの私が認知になったら速攻施設行きだろうな(-_-;)。こんなヘルパーさんを見つけることなどできやしない。親だって好きで認知不全になるわけではない。「怒らないで!。寄り添ってよ・・」私は親に寄り添っているだろうか・・。反省と自戒を込めて読了。2017/07/22
さと
55
幹夫の様に母の介護に携わり、グループホームでいろいろ学ばせていただくようになり実感するのは、認知症であっても、感情はしっかりと彼らの中に瞬時生まれ、今ここを生きているなということ。過去の記憶により未来を憂う事もなく悔やむこともなく、今この瞬間を生きる様を目の当たりにするたびに、人はここまで認知機能を手放さなければ今ここを生きられないのかと思う事がある。状況判断ができず不安不穏になっても、私が“誰か”を演じることで安心に替えられた時の満面の笑みは介護がもたらす至福の時でもある。2021/12/27
えみ
51
訥々と語られる痴呆症の父との生活。消えていく記憶と解き放たれる心の自由を手に入れて生まれ変わっていく父親の姿を戸惑いと諦めと悲しみを繰り返しながら見守り、介護という関りを通して息子の幹夫が全てを受け入れていこうと決意していく長い葛藤が描かれた一冊。認知機能に障害を持つ家族が増えている現代で、断片断片の描写に多くの人が共感できる一風景があるのではないかと思う。一人で向き合うことの限界と、プロの介護の凄さを改めて実感する。子供・夫・父・職場の顔…様々な過去を通過して今ここにいる一人の人間の尊厳は守るに値する。2024/01/12
七色一味
42
読破。この超高齢化社会で、誰もが経験するだろう──そして誰もがそうなって行く可能性を大いに秘めたテーマ。父親が認知症を発症したために、同居することになった主人公の姿が描かれていますが、全てを達観した、なんとも滑らかで透明な水のような文章が、するりと心にしみてきます。人の中には荒ぶる龍が住まう──。♪歳と共に誰もが子供に帰っていくと 人は言う けれどそれはたぶん 嘘だ♪と言う、歌の一節が浮かんだ。2013/04/20
ちょん
35
認知症になった父親を介護する男性の話なのですが、深い。人の心や思想って一体どこにあるんだろうなぁと考えずにはいられない。「いったい父はどんな時間にいて、誰におんぶしてもらっているつもりなのか……。」という息子の言葉が優しい。この本のように、こんなに優しくキレイに介護は出来ないかもしれないけど、気持ちと知識を持つことは大事だと思いました。文中で物盗られ妄想について書かれてましたが、申し訳なさの裏返しであんな行動をしてしまうとか知らなかった。知らないと相手も自分も苦しめてしまうんだなぁ。大事な1冊です。2021/01/12