出版社内容情報
東郷平八郎を名参謀として支え、日清・日露の海戦に偉大な足跡を残すも、けっして功を語らなかった不世出の海の名将の清廉な生涯。
内容説明
近代日本の命運を決定づけた日本海海戦で、不世出の鬼才、秋山真之参謀と、大海戦を前に苦悩する東郷平八郎司令長官を支えた軍略の天才、島村速雄。戦のなかでも人道を忘れず、後に、市井からも連合艦隊司令長官を待望されるほどの人望を集めながら、生涯、自らの功を語らなかった稀代の名将の清廉な生涯。
著者等紹介
中村彰彦[ナカムラアキヒコ]
1949年栃木県生まれ。東北大学文学部卒業後、出版社勤務を経て文筆活動に入る。87年、『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。93年に『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞、94年に『二つの山河』で第111回直木賞、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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スー
24
78日本海軍が産まれ大躍進を遂げる日露戦争後まで薩摩派閥が幅を利かせていた中で土佐出身の島村速雄は日清・日露戦争を補佐役として活躍勝利に貢献し戦後は後進育成に力を注ぎ派閥の垣根を超えた教育を行った。艦長を勤めれば下士官を大切に扱い艦の上下をまとめ模範艦長と絶賛される。島村は東郷と違い分をわきまえ出しゃばらなかった事もあり日本海軍の最良の時代は見守りなが幸せな提督を全うした。2022/09/07
北之庄
9
薩の海軍と称されていた明治海軍で、初めて元帥府に列せられた土佐生まれのいごっそう、島村速雄の生涯を綴った作品。寡聞にして、彼の名は今回初めて知った訳であるが日清、日露両戦役の帷幄の臣として、軍略を練る立場であったとのこと。特に日清戦争時の伊東祐亨連合艦隊司令長官と、北洋水師提督の丁汝昌との間の、古武士の様なやり取りに、大きな役割を演じた部分が印象的。土佐の坂本龍馬が作り、島村速雄が慈しみ育てたにも関わらず、同じく土佐人最後の元帥たる永野修身軍令部総長が潰した帝国海軍、皮肉な歴史を思わずにはいられない。2016/08/13
BIN
7
目立たなかった名将、名参謀でしょう。日清戦争で海軍参謀として東洋一と言われた北陽出師を破り、日露戦争で海軍参謀長として旅順封鎖作戦を東郷平八郎とともにやった人物です。また義和団事件の際にも的確な判断を行い、その行動が英国海軍中将にも感謝され、日英同盟への影響もあったとか。教育者としても優秀で、自分の功を誇らず、他者の功を称賛する謙譲心の高い人物で多くの人に慕われた。お国のために妻子を持たなかったが、母の看護のために結婚するという、まさに真の武士だね。良い人物を知った。2023/02/19
yamatoshiuruhashi
7
日露戦争に当たり開戦から旅順陥落までを連合艦隊参謀長として戦った島村速雄の伝記。「坂の上の雲」とはまた違った視点で書かれる時代史は、新たな感慨を与えてくれる。2013/12/28
Kiyoshi Utsugi
2
島村速雄は、安政五年に土佐に生まれ、海軍兵学校七期の生徒として入学し、クラスヘッドとして卒業します。同期には加藤友三郎がいます。 日清戦争の時には聯合艦隊司令長官伊東祐亨の下で聯合艦隊の参謀を務め、日露戦争の時には聯合艦隊司令長官東郷平八郎の下で聯合艦隊の参謀長を務めます。旅順口閉塞作戦を終えた後には、第二艦隊第二戦隊司令官に転出しています。 その島村速雄の生涯を描いた作品です。あまり知られていないかもしれませんが、帝国海軍の名将の一人と言ってよい人物と思います。2016/07/09
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