内容説明
夫から逃れ、山あいの別荘に隠れ住む「わたし」が出会った二人。チェンバロ作りの男とその女弟子。深い森に『やさしい訴え』のひそやかな音色が流れる。挫折したピアニスト、酷いかたちで恋人を奪われた女、不実な夫に苦しむ人妻、三者の不思議な関係が織りなす、かぎりなくやさしく、ときに残酷な愛の物語。
著者等紹介
小川洋子[オガワヨウコ]
1962年、岡山県生れ。早稲田大学文学部文芸科卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で第7回海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。2004年『博士の愛した数式』が第55回読売文学賞、第1回本屋大賞を受賞
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感想・レビュー
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mae.dat
278
世界設定としては、洋子さんワールドとしては薄味気味に感じました。ただその分主人公である瑠璃子さんの内面が映し出されているって感じなのでしょうか。相反する感情、言動は表裏一体にも見えますね。危うい。自身の居場所を求め、訴えているのでしょうか。表面上は関係性を取り繕っている様に見せながら、その実我を押し通すとかね。なんとも複雑な想いにこんがらがります。自身の置かれている状況や気持ちの整理とか出来ていらっしゃるのかしら。ただ薫さんは天然、無頓着、闘う土俵がそもそも違うのどれかの様でね。何故か仲良し。戸惑うよ。2025/02/12
さてさて
229
『いつでもチェンバロの音は、手の届かない遠いところから聞こえてくる。さして大きくもない目の前の箱が鳴っているとは、とても信じられない』という繊細な音色を奏でる楽器が、登場人物三人の関係性を象徴的に浮かび上がらせていくこの作品。チェンバロから怪しく伸びる手の先に横たわる裸の女性、そして、そんなチェンバロを弾く女性という表紙のイラストのあまりの絶妙さに見入ってしまったこの作品。小川洋子さんならではの静かに美しく描かれる作品世界に、繊細なチェンバロの音色が柔らかく溶け込んでいくのを感じた、素晴らしい作品でした。2021/09/01
ちなぽむ and ぽむの助 @ 休止中
179
都会で、私はひとり夫の帰りを待っていた。いつまでも帰らない夫、愛するひとのもとへ帰る夫。 幼い頃の美しい思い出の導くまま訪れた森の別荘は、美しくまもられた、幸福な世界。あたたかな楽園の定員はふたりで、私はただの客人だった。住人にはなれず、やさしくもてなされ、誰からも必要とされていないただの客人。チェンバロの音色、移り変わる四季。やがてその資格すら失い、もはや何もなくなった現実へと帰らなくては、ならない。 絶望的に寂しくて、誰かに無条件で抱きしめてもらいながらじゃないと生きれない。だれにも起こりうる、絶望。2019/11/07
ヴェネツィア
161
瑠璃子、薫、新田―それぞれ過去の深い傷を抱えた3人の物語が、幾分か非日常的な空間に展開してゆく。物語の舞台は、おそらく八幡平あたりの別荘地。しかも、新田と薫とは、この人里離れた地でチェンバロ製作という、なんとも優雅な仕事に従事している。そこに瑠璃子がやって来るのだが、この地は、3人のそれぞれにとってアジールだったのだろう。そこでの静かな暮らしと、瑠璃子の熱い情念の物語。そして、瑠璃子の情念は静かなチエンバロの透明な音に収斂してゆく。ラモーの「やさしい訴え」、そして「預言者エレミアの哀歌」が美しく響く。2012/09/27
ケイ
139
この感覚はイヤ。登場人物達の生み出す感覚がイヤな形の針となり、そんな針に刺されたら化膿してイヤな膿が出てきそう。るりこの不完全な世界は、子供を持てない喪失により、語られている以上に蝕まれていて、新田のような男はその蝕まれたところを埋めるのに丁度いい腐り方をしてるんだろう。薫は不幸を餌にして生きているようで、新田が手を出す女が産む膿を、きっとこっそり舐めている。ああ、気持ち悪い。彼らの関わる音楽は、不協和音の連続。まともに陽を見ることを拒否し、少しずつ沈んでいく。私は、関わらないよ。2018/08/11