内容説明
昭和30年代。高度経済成長が緒についたとはいえ、巷には未だ貧しさが残り、社会は大規模な変質を強いられつつあった。こうした世相を最も色濃く反映していたのが映画であり、日活という映画会社と、石原裕次郎、吉永小百合というスターだった。現代社会の原型を形成したこの10年間の時代精神を描く長編評論。
目次
序章 吉永小百合という「物語」
第1章 『キューポラのある街』以前
第2章 「私、家に帰りたくありません」
第3章 「日活的世界」の構造
第4章 高度成長前半期の時代精神
第5章 現状打破への意志
第6章 「純愛」という観念
第7章 吉永小百合の「全盛期」
第8章 「戦後」の終焉
第9章 「日活的思想」の自己否定
第10章 撮影所文化の落日
終章 「物語」の終わり
著者等紹介
関川夏央[セキカワナツオ]
1949年、新潟県生れ。上智大学外国語学部中退。主な著書に「海峡を越えたホームラン」(双葉文庫)、「ソウルの練習問題」(新潮文庫)など
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感想・レビュー
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i-miya
65
2014.01.21(01/14)(つづき)関川夏央著。 01/21 (p012) 1960、吉永小百合、日活入社、15歳、1945生まれ。 1962、『キューポラのある街』は日活26作目。 全部で28作目。松竹大船と新東邦。 17歳にしてこのキャリア。 1964、『愛と死をみつめて』、同志社大学女子と中央大学男子、文通、軟骨肉腫。 早稲田大学第二文学部。 その後。 意図してつまらない脚本を選んだかのよう。 2014/01/21
i-miya
53
2013.12.14(12/14)(再読)関川夏央著。 12/12 (カバー) 昭和30年代、高度成長が緒についたとはいえ、未だ貧しさの名残を残し、社会は変質を強いられていた。 その世相を色濃く反映、映画、日活、吉永小百合、石原裕次郎、その長編を評価。 (あとがき) 1964、東京五輪、15歳。 平等に貧乏だった。 「知識」とは無縁の場所で、しかし、強力にリードするかのようであった日活を材料にあえてとった。 2013/12/14
i-miya
14
2013.12.14(12/14)(再読)関川夏央著。 12/12 (カバー) 昭和30年代、高度成長が緒についたとはいえ、未だ貧しさの名残を残し、社会は変質を強いられていた。 その世相を色濃く反映、映画、日活、吉永小百合、石原裕次郎、その長編を評価。 (あとがき) 1964、東京五輪、15歳。 平等に貧乏だった。 「知識」とは無縁の場所で、しかし、強力にリードするかのようであった日活を材料にあえてとった。 2006/02/15
よし
2
昭和30年代、 「キューポラのある町」から「愛と死をみつめ」それに、「寒い朝」「いつでも夢を」の吉永小百合は確かに輝いていた。昭和が明るかった頃だつた。2020/02/02
さるぼぼキング
2
石原裕次郎と吉永小百合、その圧倒的なスターを生み出した日活映画の栄枯盛衰を通して、日本社会と大衆の夢の変遷、戦後の転換点を浮き彫りにする内容。 現在の吉永小百合のあの面影からは想像しがたい、起伏にとんだというか、主にその内面における激しいうねりを経てきたんだという半生にちょっとびっくりした。 まあしかし著者のいうところの「明るかった頃の昭和」をとうに過ぎて生まれた自分としては細かい分析には実感の伴いようもなく、「三丁目の夕陽」的ななんとなくノスタルジックな感じで眺めるだけだったが。2013/10/08