出版社内容情報
ヴェトナム戦争、テロル、反戦運動。六〇年代の夢と挫折を背負いながら、核の時代の生を問う、いま最も注目される作家の傑作長篇
内容説明
元チアリーダーの過激派で「筋肉のあるモナリザ」のサラ、ナイスガイのラファティー、200ポンドのティナに爆弾狂のオリー、そしてシェルターを掘り続ける「僕」…’60年代の夢と挫折を背負いつつ、核の時代をサヴァイヴする、激しく哀しい青春群像。かれらはどこへいくのか?フルパワーで描き尽くされた「魂の総合小説」。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
翔亀
47
訳者の村上春樹はこれを<魂の総合小説>と定義する。心のあり様の全てを描いた、と。池澤夏樹はこれを<終末文学>の優れた例と評する。破滅後でなく終末に向かう時代の雰囲気を描いた、と(「楽しい終末」)。この三人はほぼ同世代(全共闘世代)であり、あの1960年代の若者の反抗を懐かしんでいるだけだ、と言うのは容易い。その時代を体験していない私にとって、春樹の80pに及ぶ詳細な訳注により米国の60年代の歴史を改めて復習できたのも事実だ。しかし、これは過去の若者の物語では決してない。今こそ終末に向かう作法を学ぶべきだ。2016/05/09
nobi
38
この長編の前半は苛立たしさを、後半は哀しみを覚えつつ読んでいった。全米を震撼させたキューバ危機による核戦争の恐怖、とヴェトナム戦争という国家レヴェルの犯罪。その世の中への反抗としての主人公の直接的行動の描写にはついて行けなかった。さらに行動の無意味さを自覚し、極東の戦争が終結しようとする中プロテストする対象を失い、身近に愛する対象をも失なう、そのやり場のなさ。村上春樹氏による力のこもった文化史的訳注に助けられた。そこで語られる60年代アメリカの風潮の中に置いて、初めてこの小説の感性に触れ得たように感じる。2016/08/06
三柴ゆよし
29
穴を掘り続ける男の話である。男は掘りながら自身の過去を回想する。現在と過去を行きつ戻りつする手法は、つい最近読んだバオ・ニンの『戦争の悲しみ』とよく似ている。これは文学的手法というよりも、60年代という大きい物語の喪失を物語るに際しては、こういうスタイルに頼らざるを得ないということなのだろうか。いずれにせよ、このふたつの小説は同じベトナム戦争を描いている以上に、現実を現実として描くことの悲劇性を痛々しく感じさせる点で共通している。本作の主人公が抱えているのは、なにも核戦争の恐怖ばかりだけでなく、実のところ2013/08/13
長谷川透
26
何かに突き動かされたように書かれた小説で、途轍もない早さで著者は筆を奔らせたのではないか。その疾走感を殺さなかった翻訳も見事。読む側も何かに突き動かされたように、これだけの頁数なのにも関らず4時間程度で読み切ってしまった。核の時代。主人公は強迫観念に駆られたようにただ穴を掘る。時代はアポロの時代、人々の眼差しは宇宙を指し、未来を志向ているのに、彼だけは穴を只管掘り続け、過去と対峙する。表面的には反核、反戦小説と読める小説だが、人々の想像の範疇を越えて突き進む“時代”そのものへのアンチテーゼなのではないか。2013/09/13
km
21
良い一冊でした。核の時代にあっては、ちょっとした間違いで世界は無になるかもしれない。いずれ無になるなら、生きることは無意味だ。サラ、父親、ベトナム戦争。人間は活動することを止めない。人間の活動の行き着く先は死だ。生きることはすべてを失うことだ。まさに狂気。でもいずれにせよ僕は生きることを選択するし、その選択は正常だ。今この瞬間世界は終わるかもしれないが、人は愛し合うことを止めないし、世界は美しい。生きることは尊いことだなと思いました。2017/02/14