出版社内容情報
ソ連軍と米英仏連合軍に占領地を次々に奪還され、戦場はついにドイツ本土ヘ。解放後の占領地にはナチスによる恐るべき犯罪の痕が
内容説明
戦局の挽回を期すヒトラーは「アルデンヌ反撃作戦」を企図、西部戦線に戦車軍を集結し1944年12月最後の大反攻を開始、連合軍側の情勢判断の錯誤もあり熾烈な攻防戦が展開される。厳寒の東部戦線ではソ連軍が次々にドイツ軍を打ち破り、ポーランドへ進撃する。そしてナチスによる世紀の犯罪・アウシュヴィツの真実が明るみに
目次
メッス攻防戦
『アルデンヌ反撃作戦』
アルデンヌ奇襲
東部戦線の悲劇
ヤルタ会談前夜
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
金吾
12
ドイツの乾坤一擲のアルデンヌ反撃も頓挫し、また東部戦線は崩壊し終末段階の印象を受けます。連合軍はパットン、モンゴメリー、ド・ゴールのようなパンチの効いた将軍が多く共同作戦が如何に困難かをわからしてくれます。2021/04/17
フンフン
7
パリ解放後、連合軍は野心的なマーケットガーデン作戦に失敗し、停滞の秋を迎えたが、そのスキを突いてヒトラーはアルデンヌ奇襲をしかける。連合軍は、しかしこれを跳ね返す。1945年になると東部戦線でソ連も大攻勢を仕掛け、もはやドイツの敗勢は隠しようもなくなった。それでもヒトラーは英米と講和して英米独でソ連に立ち向かうという空想にしがみつく。ヒトラーの思惑をよそに英米ソ首脳会談がヤルタで開かれることになった。2024/12/21
Hiroshi Takeshita
2
なんだか、馬鹿みたい。言い表わすとしたら、もう、この一言に尽きる。アメリカは散々イギリスと喧嘩して、その一方でせっせと中国に援助をする。パールバックの大地はこの辺りだから、この頃、アメリカ人は中国に対して好意的なのだ。その後は言わずもがなだが、一方のソビエトは、この頃から何も変わらず、本能が剥き出しなのである。ドイツへの進軍は、ソビエトにとっては、復讐であり、その言葉は軍全体の合言葉であり、当然、行動もまた、それに準じたものになる。喧嘩しながら進軍する西側が、子供っぽくみえるのは、ある意味、ゾッとする。2024/07/31
無職さん㌠
1
児島襄、戦史家ながら兵器自体にはあまり関心は強くないのかパンツァー戦車(おそらくパンター)と何度も書いてるの好き。ただ一回だけパンサーと正しく書いていた箇所があったような気もする。 「ラインの守り」作戦中の、“ヨーロッパで最も危険な男”スコルツェニー率いる米兵に偽装したハーグ陸戦条約違反部隊による後方撹乱作戦“グライフ(グリフォン)”、児島襄はファンタジー方面疎いからか「神話獣作戦」と呼称してて、これはこれで味があって好き。2019/06/09
ビタミン
0
★★★★☆2010/04/24