内容説明
いのちの危機の時代である。民族紛争の現場に限らない。危機は私たちの日常にある。食物が溢れ、医療やインフラが整備され、死を忘れたかのような文明の只中に、不安が不気味な貌をのぞかせる。死生観が揺れている。永年、日本はじめアジア、欧州、中近東の多様な宗教圏を実際に歩み人々の生き死にへの思いを肌身で探ってきた宗教学者が、母の病変とその死に向きあい、改めて問う―人間とは何か、人は死をどう受けいれるのか、いま、宗教はどんな力を与えられるのか…。
目次
はじめに 巨樹の下で老人に出会う
第1章 “いま”という時代
第2章 曖昧な生と死
第3章 多神教は生と死をどうとらえたか
第4章 唯一神教世界における死と生
第5章 インド・ベナレスの岸辺で
第6章 日本人の生と死への思い
終章 生から死へ、死から生へ
著者等紹介
久保田展弘[クボタノブヒロ]
1941年、東京生れ。早稲田大学卒業。仏教・東洋哲学を学び、のちにアジア各地から中近東、ヨーロッパに調査を重ね、多神教・一神教を様々のテーマで比較研究。現在、大学、各地のセミナー、カルチャースクールで比較宗教・死生観をテーマに講座をもつ
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感想・レビュー
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おおにし
14
第4章を読んでいて、ユダヤ教の死生観がキリスト教やイスラム教の死生観とはまったくことなることを知り驚いた。ユダヤ教には天国というものがない。「人は死んだら消えうせる」存在で、神との関係が絶たれた死者の世界はだれもが嫌う世界なのだ。だからユダヤ人は来世より現世を徹底した現世主義者であり、イスラエルがパレスチナを徹底して攻撃する強行姿勢の奥には、現世ですべてを解決せよというユダヤ教の教えがあるといえる。イスラエルの暴走を止めることはユダヤの神にしてできないのかもしれない。2024/10/18
V
0
西行と自然への考察の一節を読んだ。こういうのいますごい好き。山が生命エネルギーの源流であるという結論には日本が複数のプレート上にあるという地学的な裏付けもできる。日本においても神はもう死んでしまったかもしれない。
Rumiko Suzuki
0
定型的2013/02/07
yason
0
死後の世界を夢想したところで、今生との別れになることだけは間違いのないことなので、生きていることにこそ価値があると思う。全ての物には命が宿っている。些細な出会いをも大切にすることが、死を思うことへと繋がるのか。2012/10/01