出版社内容情報
私が住んでいる世界、私が見ている世界は「このようにある」のではない。
客観的世界のあり方と、「私がある」というあり方はまったく異なるのだ。
「私がある」とは、私がこの世界には属さないということである。
では私が死ぬ、とは果たしてどういうことなのか?
子どものころから死とは何かを問い続けてきたカント哲学者が、
古希を迎えて改めて大難題に挑む哲学的思索。
はじめに
1章:古希を迎えて
2章:世界は実在しない
3章:不在としての私
4章:私が死ぬということ
内容説明
私が死ぬとき、私は新しい“いま”に直面する!“死”とは“無”なのか“永遠”か。「死」を探究して50年。古稀を迎えたカント哲学者が、哲学的思索の到達点へと誘う。
目次
第1章 古稀を迎えて(「死」を見すえ続ける;一七年間の惑いの年 ほか)
第2章 世界は実在しない(仮の世;世界は「観念」である ほか)
第3章 不在としての「私」(客観的世界と私;思考する私の起源 ほか)
第4章 私が死ぬということ(「死」より重要な問題はない;「無」という名の有 ほか)
著者等紹介
中島義道[ナカジマヨシミチ]
1946年生まれ。東京大学教養学部・法学部卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。専門は時間論、自我論。「哲学塾カント」を主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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桜もち
38
「過去に戻りたい」というけれど、過去なんてものは無い。振り返って過去だと意味付けすることでいわば過去が生まれるみたい。哲学者は、多くの人が真剣に考えない・考えたくないことを考え続ける。逆に、世の中の人が日々議論している幸福については考えない。少なくとも中島さんにとって幸福は真実に背くから。世の中の人は『真実という名の幸福』を追求しているだけであって、幸福になれる要素はひどく不平等。真実=誠実だけれども、真実は往往にして過酷だ。哲学者は隠れキリシタン、というたとえがとてもしっくりきた。もっと話を聞きたい。2020/12/02
テツ
28
「自分はいつか必ず死ぬ」「何故自分は生まれて来たのか」こうした疑問は幼少期に誰しもが抱くものだと思うが(だよね?)その問いがいつまでもいつまでも頭に響いている人間というのは実は少数派なんだなということに中島先生の哲学塾に参加して気づいた。生きることやそれに纏わる様々なことを単純に捉えることが出来たらどんなに楽だろう。でもそれが出来ない割り切れない人間はひたすら考え続けるしかない。思考を積み重ねていくしかない。そうして生きてきた先人がいるということに安心する。2017/07/07
さえきかずひこ
15
70歳を迎えた著者による哲学エッセイだが、第1章とその他3章の難しさが違い不恰好な構成となっている。基本的にはいずれ必ず死んでしまうわたしの死とは何かという問いに立脚し、中島の認識論・時間論・存在論が自由に展開される。著者がカントの専門家であったことはよく知られているが、本書ではカント以外にはその哲学塾で教えているニーチェやハイデガー、とくに後者の引用と言及が目立つ。「死とは何なのか」と問う人には興味を引く内容だが、じっくり腰を据えて読まなければ込み入っているので何が書かれているのかよく分からないだろう。2019/05/08
ザカマン
7
哲学書は文章も理解も難解だ。物体や事柄に意味は無く、人間の言葉で意味を付着しているにすぎないことは理解した。 2019/02/28
マカロニ マカロン
6
個人の感想です:B+。中島先生の「人は望みもしないのに生まれさせられて、すぐに死んでしまう」という意味の主張に共感したことがあったのだが、本書では「未来は存在しない」という考え方をとても興味深く読んだ。「眼前の現象は過去へ移行するのではなく、消えるのだ」「未来があると考えるから人の死は悲しいのだ、未来がなければ生も死も同じ」と考えると、本中で批判しているキュビズムも、死を扱った本(ほとんどの本に死はつきもの)は価値がなくなってしまう。「寝転がって読めるもののうちに真理はない」という哲学のこじらせ方が新鮮。2020/04/05
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