「戦争」を語る

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「戦争」を語る

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  • サイズ B6判/ページ数 199p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784163904900
  • NDC分類 916
  • Cコード C0095

出版社内容情報

被爆の記憶を後世に残すために、日本人は何をすべきか? 引揚体験、広島、長崎、アウシュビッツを通して、いま伝えておきたいこと。「知の巨人」、はじめての戦争本!



「長崎という街に自分が生まれ、そこが世界で二番目に原爆を落とされたという事実は、僕の人生に大きな影響をもたらしました」

被爆の記憶を後世に残すために、日本人は何をすべきか?

北京からの引揚体験、特攻隊上がりの青年教師、原水禁運動に打ち込んだ若き日ー。

ヒロシマ、ナガサキ、アウシュビッツを通して、いま伝えておきたいこと。



〈目次〉



第一章 少年・立花隆の記憶

焼け跡の残骸が遊び場だった

DDTと給食の脱脂粉乳

あのころのリアルな日本



第二章 「戦争」を語る、「戦争」を聞く

クリスチャンの家庭で育って

長崎のコルベ神父

『アサヒグラフ』原爆特集の衝撃

「オルダーマストン・マーチ」

カンパを募ってイギリスへ

日本の原爆開発計画=「ニ」号計画

ヒロシマでいったい何があったのか

なぜ「運動」をやめたのか

戦争体験を語り継ぐ

アウシュヴィッツへ

証言をし始めた戦争体験者たち

戦争非体験者とのギャップをどう埋めるか



第三章 おばあちゃん引き揚げ体験記

仙崎港に入港まで

帰国第一夜のこと

下関駅で出会ったこどもたち

戦禍の沿線、そして東京

那珂西の実家に着く

後日記



第四章 敗戦・私たちはこうして中国を脱出した

いま戦争を語ることについて

父・経雄と活水学院

戦時下のミッションスクール

父、師範学校教員として北京へ

立花家の宗教的バックグラウンド

デマが飛びかう集結地

長崎から北京へ

母、太平洋戦争開戦の報を聞く

「龍子、少しつわりか」

外地・四合院での暮らし

共同で「アマさん」を雇う

中国のヤンチョウ

玉音放送を聞いた日

中国人にふるまった酒

北京の日本人組織

蒋介石の“おかげさま”

おむつだらけの柳行李

投げ捨てられた手袋

戦時下のキリスト教

天津から日本・仙崎へ

窓から見た広島は焼け野原

上野から水戸へ

西苑の集結地

戦地における一般家庭の生活

【ゼミ生からの質問】



あとがき

立花 隆[タチバナ タカシ]

内容説明

北京からの引き揚げ、特攻隊上がりの青年教師、原水禁運動に打ち込んだ若き日…。はじめて語る「戦争論」!ヒロシマ、ナガサキ、焼け跡の記憶をいま残さなければ―。

目次

第1章 少年・立花隆の記憶(焼け跡の残骸が遊び場だった;DDTと給食の脱脂粉乳 ほか)
第2章 「戦争」を語る、「戦争」を聞く(クリスチャンの家庭で育って;長崎のコルベ神父 ほか)
第3章 おばあちゃん引き揚げ体験記(仙崎港に入港まで;帰国第一夜のこと ほか)
第4章 「立花家座談会」敗戦・私たちはこうして中国を脱出した(いま戦争を語ることについて;父・経雄と活水学院 ほか)

著者等紹介

立花隆[タチバナタカシ]
1940年長崎県生まれ。64年東京大学仏文科卒業。同年、文藝春秋入社。66年退社し、67年に東大哲学科に学士入学。在学中から評論活動に入る。74年の「田中角栄研究―その金脈と人脈」で金脈追及の先鞭をつけ、社会に大きな衝撃を与えた。その徹底した取材と卓抜した分析力による文筆活動で菊池寛賞、司馬遼太郎賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

36
奉安殿と呼ばれる建物を設置して、中には教育勅語とご真影が丁寧に保管されていました(34頁)。戦争の最末期に、実際に皇居前で腹を切った人がたくさんいます(55頁)。原爆被害の実態を伝える報文として長田新編『原爆の子』岩波文庫、永井隆編『原子雲の下に生きて』アルバ文庫 は今でも読む価値があります。峠三吉『原爆詩集』、栗原貞子『生ましめんかな』は若い人に。ショックを受けたのは、川上郁子『牧師の涙』長崎文献社(75頁)。改めて、立花先生のご冥福をお祈り申し上げます。 2021/06/23

matsu04

28
戦争、ことにヒロシマ・ナガサキのリアルな実態を今伝えていくことの大切さを立花隆が訴える。第4章は異例の立花家による座談会。2016/08/01

DEE

15
戦争を体験した人たちが、それほど遠くない将来にいなくなる。自ら北京で終戦を迎え、戦後の焼け野原で少年時代を過ごした著者が、危機感を持って戦争を記録しようとする試みの一環。 戦争が終わっても戦後はずっと続くと自分は思っている。だからどんな形であれ次世代に語り継いでいかねばならない。 2020/12/29

きゅうり

6
北京からの引き上げは満州に比べ平穏だった。それでもやはり情報がなく小さい子供を連れて不安だったろう。2021/09/04

trazom

5
立花隆さんの最近の本は、少し安直。この本も、従来の著作の再録と家族の座談会という安易さ。立花隆さんの前半生が、よくわかる。無教会派クリスチャンの両親とともに北京に渡り、終戦後、命からがら帰国した後、原水爆禁止運動に身を投じるが、活動が分裂し対立する状況に失望したことが書かれている。確かに、この本は、単なる私的な体験録であり、私のように立花隆さんを心から尊敬する人間にとって面白いだけなのかもしれない。でも、こうしてパーソナル・ヒストリーを語り継ぐことは、歴史と向き合う手段の一つとして、有意義なことだと思う。2016/09/19

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