出版社内容情報
若き妻とまだ見ぬ娘へ、戦場から書き綴った手紙の束。その中には精一杯に生きて戦死した普通の日本人の真実の言葉が詰まっていた。
内容説明
サラリーマンの石田光治(32歳)は昭和十二年八月、日中戦争に召集された。身重の妻(27歳)と長男(2歳)を残して。娘の誕生は戦地で知った。いち早い帰国を夢見ていたが、一年後、激戦の中で戦死。娘を抱くことはかなわなかった。戦地から送られた手紙は妻によって封印されトランクに七十年間眠っていた。―戦地でたおれるまで書き送った七十五通の手紙。
目次
1章 せめて貴女や省三にひと目会って…
2章 貴女よりの手紙は誠に天来の福音の如く…
3章 貴女のことを思わぬ日とてない…
4章 凱旋の日はもうすぐ…
5章 戦争は罪悪なり…
6章 帰ったら何から話そう…
7章 けっして父チャンは戦死などしない…
8章 後はただ、天命に委すのみです…
著者等紹介
石原典子[イシハラノリコ]
昭和13(1938)年、広島に生まれ、鎌倉、金沢八景、逗子で育つ。高校卒業時に、小学生の時からの知り合いだった新進作家石原愼太郎氏と結婚。四人の男の子を産んだ後に、一念発起して、慶応義塾大学法学部政治学科に入学。卒業後、『妻がシルクロードを夢みるとき』(学研)を刊行(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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もちお
3
戦争の本当の姿がある。当初は帰還への期待も見えていたが、徐々に諦めと戦いへの覚悟がにじむようになっていく手紙。それでも気にかかるのは残した妻子の生活ばかり。帰れたら…と手紙で書いた光治さんは、どれだけ一目会いたかっただろう。宛先不明で戻った手紙が悲しい。雨の中の行軍や相次ぐ戦闘などは手紙に書けぬほど苦労したはず。時代が違えばよき勤め人、よき夫、父として幸せな人生を送っただろうに。戦争のむごさがここにある。2024/07/06
mimm
2
日中戦争で戦死した、著者の父の手紙を元に、両親の心の交流を留めた一冊。 前半はラブレターのごとく、後半になるにつれて再会は諦め、ただ体や家の心配に傾いていく変化が切ないです。 良い意味で昔の日本人の父親という感じがあまりない気がしました。本当に奥さんが好きだったんだなぁと。生きて帰ってほしかったと。一読者として思った次第です。 戦争と言うと終戦近くの悲惨さが思い浮かびましたが、昭和13年ですでにこんな戦いがあったとは。あ、でも日露も確か酷かったか。つくづく昭和初期って暗い時代だなぁと感じました。2013/10/27
ピサロ
2
一般の国民が兵隊にとられるようになるのは、昭和18年頃くらいからかな・・・と少し前まで思っていたので、こんなに早く兵隊に行き、死んでしまった一般人がいたなんて、知らなかった。いつも家族のことを心配して、会いたがっていたのに、最後の方になって急に昔を懐かしむようになり、いきなり遺書。本当に心残りだっただろうと思う。こういう人たちがいたことを決して忘れてはいけないと思う。”体の内側からくる欲求”が兵隊となってもあったことが人間らしい。2011/04/19
松宇正一
1
★★★★2010/12/16
pudonsha
1
夫が戦場で遺言を書いていた日に、妻は当時ヒットしていた映画を見ていた。このアンバランスな戦争の悲劇に心打たれる。どうも最近は涙腺が緩くなっているような気がする。手紙の部分は再読したい。2010/12/04