内容説明
『東京大学のアルバート・アイラー』で読書界を沸かせたコンビが慶應大学で展開した、挑発的/狂想的/壊乱的な「現代芸術」完全講義録、前半戦。
目次
第1回 「見ながら聴くことはどれくらい可能か?」の開始
第2回 「サイレント映画」の音
第3回 科学という幼児
第4回 ブラック・ミュージックの「ずれ」と「揺らぎ」について
第5回 ファッション・ショーにおける倒錯と抑圧
第6回 「オタク=黒人」説
第7回 二〇世紀とは何歳から何歳までか?
第8回 現代旋律概論
第9回 夢と輪郭線
著者等紹介
菊地成孔[キクチナルヨシ]
1963(昭和38)年、銚子市生まれ。音楽家、文筆家、音楽講師。85年にプロデビュー。デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン、SPANK HAPPYなどでジャズとダンス・ミュージックの境界を往還する活動を精力的に展開。現在は菊地成孔ダブ・セクステット、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを主宰して活動中
大谷能生[オオタニヨシオ]
1972(昭和47)年生まれ。批評家、音楽家。96年、音楽批評誌「Espresso」を立ち上げ、02年まで編集、執筆。日本のインディペンデントな音楽シーンに実践と批評の両面から深く関わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
zirou1984
29
エイゼンシュテインのややトンデモ感ある論文から話を広げ、20世紀の表現における視聴覚のズレとファッションショー、大人的な文化の関連性について様々な精神分析的「見立て」を行いながら話を広げていく慶応大学の講義録。収束せずとっ散らかったままな視点の数々は読者を納得以上に思考の発見と逡巡へと導くものであり、理屈以上に楽しみ方の可能性を切り開く。レコード文化はサイレント映画の後にが産まれているという「ずれ」の話が個人的には興味深い。全編を通したトリックスター的、挑発的アプローチが読むことの快楽を増幅させている。2016/08/11
masmt
7
「視聴覚の分断/再統合という現象と発達学を結びつけ、20世紀を俯瞰する。という構えで行われた、軽狂の人文(擬似)化学講義」(菊地成孔による前書より)。エイゼンシュタイン「映画における第四次元」、下方倍音列、幼児性、オタク=黒人、マリアージュ、旋律=輪郭、夢=作曲行為など興味深いトピックがいっぱい。2010/01/12
さえきかずひこ
5
散漫で偽悪的でなんちゃって講義録している(ふりをしている)。アナロジーでやりたいほうだい(大人の含み笑いで)。むろん『憂鬱と官能』『東大アイラー』と読み比べるのも面白い。菊地大谷の本書におけるような手つきで現代文化の幼児性を批判や検討することじたいが、幼児性の発露であるというメタな視点からの批判すらもあらかじめニヤニヤ笑いで封じているかのような、謎めかしたふりをすることばと言霊についての一冊。2009/08/31
霧
4
下方倍音列は疑似科学(少なくとも、その段階)であるし、シェーンベルクが、倍音列を無視して数列的にのみ作曲してたはずはない。彼はちゃんと聴きながら、数列的にも作曲するということをしていたはず。こんなにいろいろ知識が出てきてなんかもったいないなあと思う。まあ読んでしまうんだけど。2016/03/10
Yuichi Tomita
3
我々は20世紀文化は全部が全部幼児的なのかと感じていたという考えから、映画とレコード、視覚と聴覚の違いなどを通じて20世紀を俯瞰して述べたもの。 著者も認めるように相当とっちらかっている。何かのためになるかと言うと多分ならない。好き嫌いも別れると思う。 が、面白いので、それで良いのではないか。2022/06/09