出版社内容情報
死の淵に引き寄せられた日々を遠く離れた今、生きのびたわが身、自然に開かれたからだのしぶとさを知る。滋味溢れるエッセイ集
内容説明
「ただ在るだけ」の幼子を引き受けてくれた祖母、背中しか見せられなかったのに力強く巣立っていった息子たち、幾冬にも耐えた庭のモミジ…静穏ながら強靭な言葉の数々が身の内を温かく浸す33篇。心とからだを解き放つ滋味溢れるエッセイ集。
目次
老眼と白衣
浅間山
木を植える
野菜をもらう
おじさんたちの歌
書く修行
ガイドライン
歯をみがく
人間ドック
青い山脈〔ほか〕
著者等紹介
南木佳士[ナギケイシ]
1951年、群馬県に生れる。秋田大学医学部卒業。現在、長野県佐久市に住む。1981年、内科医として難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で「破水」の第53回文學界新人賞受賞を知る。1989年、「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞受賞。2008年、「草すべり その他の短篇」で、第36回泉鏡花文学賞を、翌09年、第59回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
katoyann
12
医師兼作家のエッセイ。信州佐久平で医師として勤務する傍ら作家の仕事をこなす日々について描写している。うつ病になる経緯についても詳述されており、直接の引き金は作家と医師の兼業により、疲労がピークに達したためであるとしている。ただ、医師としてたくさんの死を見届けるうちに心労が溜まったというのもあるらしい。うつをきっかけとして、日々の自然の中に身を横たえてゆっくり過ごすことがいかに貴重かということを知ったということだが、読む人もなぜかのんびり構えても良いんだと思えるエッセイになっている。2024/09/10
橘 由芽
11
信州の田舎の総合病院で内科医としても現役な著者。「人の体は自然である。自然とは人の頭でコントロールできないもののことである」この一文に、なるほどとうなずいたのは、心身の衰えを感じることの多くなった、昨今の自身の気持ちに近かったからだ。著者のように山にでも登って、大自然に身を置くことで己の小ささを認め、ただただ土に還っていく自然の一部にすぎないのだと自覚することは逆に安心感をもたらすのだろう。元気になったら登ってみるかな・・・2017/05/09
刺繍好きの糸ちゃん
8
勤務医を続けながら文章を綴り続ける南木佳士のエッセイ。右に、左に、重心を移し続ければいつの間にか山の頂上についている。。。氏のエッセイは、母の死、祖母のこと、山のこと、同じエピソードが重複して語られるが、それでよし、それでよし。。。生きていくとは、同じことのくり返し。。。あるとき、変わったことに気づくこともある。。。「底上げしない自分」という表現がたびたび現れる。。。医者をしていくことは「底上げした自分」を作り続けること。。。「底上げしない自分」でいられる時間をもつことが大事。2020/08/11
Sakie
6
折り合いをつける。自分と。からだと。他人と。年齢と。からだの重心移動と合わせるようにゆっくり1歩ずつ進む山登りが、そのまま人生のようだ。「なによりも正直なのは無言で生きのびるからだなのだ」。自然に生きることの、最もシンプルな哲学が心地よく、「からだのままに」と対にして大切にしたいエッセイ。ひとり自分と向き合いながら静かに読むのがお勧めです。2012/09/17
うずら
5
南木桂士さんの文章は、地味だけど正直。まるで山で過ごす時間のような清々しさ。医師の言葉だから説得力があり、こころを病んだ経験が人にやさしい。死を「永遠の不在」と言い換えているところ、特に心に沁みた。2013/11/02
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