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内容説明
昭和41年に小学館に入社し、平成14年に定年退社するまでの36年間、僕はずっと漫画部門に在籍した。たくさんの漫画家を担当した。その数は200人にのぼる。その中で、一人だけ特別な漫画家がいる。赤塚不二夫だ。よく描いた!よく飲んだ!伝説の赤塚番「武居記者」がぜ~んぶ書いたのだニャロメ。
目次
序章 病院にて、なのだ。
第1章 『おそ松くん』担当六代目
第2章 赤塚藤雄「偽自伝」
第3章 漫画家アパートの落ちこぼれ
第4章 都の西北、早稲田の隣り
第5章 我々は、あしたのジョーである
第6章 バカボンは復活するのだ!!
第7章 アメリカかぶれのゼニ失い
第8章 「赤塚不二夫」改メ「山田一郎」
第9章 405060と、私の人生つらかった
終章 生涯漫画執筆枚数八万枚
著者等紹介
武居俊樹[タケイトシキ]
1941年、長野県生まれ。1966年、早稲田大学第一文学部(演劇専修)卒業。同年、小学館入社。第二編集部・少年サンデーに配属される。赤塚不二夫、古谷三敏、石井いさみ、あだち充などの担当編集者として、数々のヒット作を手がける。1975年、少女漫画部門に異動。1984年、ちゃお編集長に。その後、別冊少女コミック、プチコミックなどの編集長を歴任。吉田秋生など多数の少女漫画家を担当。2002年、小学館退社。36年間の漫画編集者生活に幕を降ろす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
chatnoir
15
ギャグマンガを描く人はまじめな人が多いよね。それに、自分の状況を石川啄木の俳句に例えるなんてインテリだなぁ。赤塚不二夫は破天荒だったけど、仕事には凄くまじめだったんだな。人(漫画家と編集者)を育てる事ができた人っていうのも素敵だ。彼自身も人に助けられて世にでた人らしいけど、その恩恵は十分すぎるほど多くの人に返したんだね。対比でとある漫画家がちょくちょく揶揄されているけど...わかる気がする。素敵な人と仕事できるっていうのは宝物だよね。でも、自分たちは楽しい〝ノリ”でも、多くの人に迷惑掛けたんだろうな。 2018/02/11
戸田健太朗
5
赤塚不二夫の自伝では語られない弱さの部分や、漫画制作の裏話などを交えて、赤塚番だった小学館サンデーの武井記者の視点から愛情たっぷりに語られている。全盛期のフジオプロのプロフェッショナルな仕事ぷり。やがて来るチームの崩壊。そして赤塚不二夫がアル中になっていき意識不明になるまで。歴史物語でも読んでいるようだ。日本漫画史におけるひとつの頂点である赤塚不二夫の一代記なのだから当然か。それにしても小学館の編集部がめちゃくちゃなのは伝統だったんだなとこれ読むとよくわかる。2014/07/14
hiroshi0083
3
1966(昭和41)年に早稲田大を卒業後、小学館へ入社した著者。少年サンデー配属となり、小説やクイズなどの(当時の少年週刊誌でそれなりのページを割いていた)活版企画の仕事を半年ほど担当の後、赤塚不二夫の担当編集者となる。 当時連載していた『おそ松くん』は、爆発的な人気を誇っていた。その製作過程を述べてみよう。赤塚はブレーンの長谷邦夫と古谷三敏、そして担当編集者とともに「アイデア」と称したストーリーの大まかな流れを作る。その場で長谷が書いたメモを元に、専用用紙にネームを書く。(コメントに続く)2019/04/09
吉田strength
3
赤塚も周りの人物もとにかく無茶苦茶すぎる。というか回りの人は赤塚に影響されて馬鹿になっていったかんじ。それでも当人達にしかわからない信頼があって、うまくやっていたみたい。そしてこの本の作者である編集者武居はけっこう優秀だったんだな。最終的には編集長になったりしてさ。また赤塚や手塚など、この時代の人は他の漫画ではなく名作映画を見て漫画に取り入れていったんだなぁ。2015/05/08
かめあい
3
赤塚不二夫という人の弱さ含めた魅力がふんだんに書かれていた。つのだじろうが少しかわいそうだった。手塚治虫について、息子が書いた本と同じエピソードが書かれていたが、内容が異なるのが気になった。(トイレの窓から編集部のくだり)息子には内容変えて話してたのかなー?面白かった!2014/06/02