内容説明
衝撃の昭和史・新資料を、わかりやすく誠実に読みとく。
目次
第1章 「謝罪詔勅草稿」の発見
第2章 宮内庁長官として
第3章 天皇の「戦争責任」をめぐって
第4章 「田島書簡」
第5章 マッカーサー解任前後
第6章 講和条約発効
第7章 皇太子の結婚問題
第8章 様々な反響
第9章 発見に至る経緯と田島をめぐる人々
著者等紹介
加藤恭子[カトウキョウコ]
1929年、東京生まれ。’53年、早稲田大学文学部仏文科卒業と同時に渡米・留学。’57年、ワシントン大学修士号。フランス留学、再渡米を経て’61年帰国。’65年、早稲田大学大学院博士課程修了。’65年からマサチューセッツ大学、’73年から上智大学講師。同大学コミュニティ・カレッジ講師を経て現在、(財)地域社会研究所理事、「加藤恭子ノンフィクション・グループ」代表。専門はフランス文学
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感想・レビュー
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CTC
9
03年文藝春秋社刊。著者は29年生まれのノンフィクション作家。代表的な著作が本書他田島道治関連。ご存命のよう。『文藝春秋』03年7月号には昭和天皇の“謝罪詔勅草稿”発見の文字が踊った(実際には“詔書”と表現し、本書で訂正)。著者は前年刊行の田島伝記執筆に際して、田島家より❶日記❷文書❸その他(訳書やテープ等)を借りた。これらは田島家にて保管されてきたもので“謝罪詔勅草稿”は❷から発見。所謂“拝謁記”はこれらとは別に銀行貸金庫に預けられていた文書(❹とする)で、加藤に対し田島家が敢えて公開しなかった書類だ。2025/07/29
sasha
3
2003年の「文藝春秋」誌上で発表された時に内容は読んでいたのでおさらいという感じ。今では昭和天皇が先の大戦に対して責任をお感じになられていたことは多くの証言や資料によって分かっているが、昭和23年に宮内府長官に就任し、昭和天皇のお気持ちを汲んで「謝罪詔勅」の草案を練った島田道治氏の願い通りに言葉は多少違っても「謝罪詔勅」は発表されていたら、私たちはもっと早く昭和天皇のお気持ちを知ることが出来たのかもしれない。2017/09/18