内容説明
3・11後、ますますあらわになる言語の単純化・縮小・下からの統制。「日本はどのように再生すべきか」…発せられた瞬間に腐り死んでいくこれらの言葉に抗して、“死者”ひとりびとりの沈黙にとどけるべき言葉とはなにか。表現の根拠となる故郷を根こそぎにされた作家が、それでもなお、人間の極限を描ききった原民喜、石原吉郎、堀田善衛らの言葉を手がかりに、自らの文学の根源を賭け問う渾身の書。
目次
第1章 入江は孕んでいた―記憶と予兆
第2章 すべてのことは起こりうる―破壊と畏怖
第3章 心の戒厳令―言葉と暴力
第4章 内面の被爆―記号と実体
第5章 人類滅亡後の眺め―自由と退行
第6章 わたしの死者―主体と内省
著者等紹介
辺見庸[ヘンミヨウ]
1944年宮城県石巻市生まれ。70年共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、外信部次長、編集委員などを経て、96年退社。78年中国報道で日本新聞協会賞、91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞、2011年詩文集『生首』で中原中也賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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yumiha
45
何か違和感を持ちながら、それを言い表す言葉がない私に、そうだ、これかもしれないという言葉を与えてくれる作家である辺見庸は、宮城県石巻市出身。本書は、3.11後の世間の風潮を見つめ考え暴いてくれた。空恐ろしい光景がTVから流れ出てくる日々に、いち早く反応し心温かい言葉を発する人々に感心しながらも、なかなかそうできなかったことを思い出す。副題の「わたしの〈死者〉」とは、3.11で亡くなった数値化された死者・行方不明者ではなく、辺見庸が身近に感じていた方々(一人一人の顔が浮かぶ)を含むのだという強い拘りだろう。2022/12/19
ころりんぱ
44
教科書に載っていそうな文章だなと思いながら読み始めた。慣れないので少々読み疲れる。震災を経て、世の中に溢れた言葉や自己抑制された人々の心へ疑問を投げかけ、辺見さん自身の思いを語っている。だんだん言いたい事が分かってきて、とても興味深かった。確かに引用された過去の作家の文章を読むと明らかな違いを感じたし、今のメディアや一個人の発言はやっぱりいろんな空気を読んでいて(読まなきゃいけなくて)抑圧の中に置かれている気がする。そんな中に自分がいることも自覚しないといけないなと思った。2015/09/25
万葉語り
39
先日受けた研修の講師が「震災関連の本ではこれが一番おススメ」と言っていたので読んでみた。死体を映さないテレビ報道。助け合い、思いやりのベールに覆われ、真実を率直に語ろうとすると不謹慎だと謗られる社会。言葉で語るべきなのに、言葉を規制された現在の日本の状況をこれほど的確に言い当てた本に会えてよかった。誰かにこの本をぜひ薦めたいと思った。2017-1252017/07/30
八百
25
海沿いの街を飲み込んで行く津波の映像に日本中が言葉を失った…震災を目の当たりにした石巻出身の著者がそれらの言葉とは何かを掘り下げる。夥しい死者を隠し数字だけを羅列する報道を「言葉の地殻変動」と断じACのCMばかりのテレビを「言葉の戒厳令」、都合の良い嘘で糊塗した原発事故の真実を「言葉と言葉の間に屍がある」と批判する。そしてもうひとつの取り組みとして原民喜や宮沢賢治の詩を例に挙げ言葉の持つ可能性にも言及しているところも興味深い。難しくなりがちなテーマをここまでわかりやすく解説してくれた辺見氏に敬意を表したい2018/03/21
ちゃこばあ
23
同時読みしていたSAPIO4月号でも、キャンベル氏が「3.11で日本人が見せた忍耐や秩序は凄いと思う。しかしそれで全てが語れるのか。あの沈黙の中で何を思い、どのような喜怒哀楽を抱えていたのか。日本礼賛本からはそういう深い部分が見えてこないし、日本人自身も、忍耐や秩序の奥にある何かモヤモヤしたものを見つめようとしない。最近の日本人論は自虐的か無条件の礼賛かどちらかだが、その中間のグレーゾーンにこそ真実があるし、・・そこを見つめてこそ新しいものも生まれる」とありました。まさに辺見氏はそのグレーゾーンをえぐる2015/05/09