内容説明
浄土真宗の在家の篤信者、妙好人。その煩悩に汚染されない美しい心は白蓮華にたとえられる。浅原才市、讃岐の庄松、因幡の源左などの清争無垢な信心の世界を語るとともに、いのちの真理を求める真摯な生き方にふれていく。さらに、現代の妙好人の肉声(対談)や詩などを通して、念仏に生きた人たちを紹介する。
目次
第1章 妙好人とは
第2章 妙好人浅原才市
第3章 妙好人讃岐の庄松
第4章 妙好人因幡の源左
第5章 旅で出会った善知識
第6章 現代の妙好人
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
出世八五郎
19
真宗の優れた在家信者を“妙好人”と呼ぶ。中盤まで紹介される妙好人はほぼ悟り又は近い境地の人物が紹介され、後半は悟りというか絶対安心し切った信仰境地にあった妙好人を紹介してる。合間合間、念仏についての解説あり、知識不足の私には非常に勉強となり良い本に思えた。P288『…こんな嫌らしい心をなんとかもっとよくしたい…捨てたい…これが我見我執です。なんとかしたいと手を出す。これに手をつけ出したら、蟻地獄へ落ちたようなことになる。煩悩我執が見えていることが大事なんです。お照らしを受けているから煩悩が見える…』南無。2016/06/12
ykshzk(虎猫図案房)
16
最近、自分が脈絡なく打ってきた点と点が少しずつ繋がってきた感覚。宮本常一、鈴木大拙、柳宗悦などの点はしっくり繋がり、円空研究者の長谷川公茂氏(nhkの彼のインタビュー番組を録画したものを繰り返し見ている)とも繋がった。私心を離れることの大事さ、難しさ。そして、生と死は分けられない=日々の生には死も含まれている=極楽浄土は死んでから行くところではなく今居るところだと妙好人達は言う。まずは自分がいかに悪い人間かを知って絶望し、そんな自分が日々救われていると感じることの出来る人、さういふものにわたしはなりたい。2025/07/15
kera1019
2
本蓮寺の住職の大谷章師が見舞い方々、法談を聞きにきた東政二さんを訪ねた際の対話の最後に東さんの言った、「身体の方は阿弥陀様から回向された通りに(生死一如的に、矛盾的相即的に)生きてるんや。そやから、もう少し心の方もその通り(無分別智的)に生きれば、それで何も言うこといらんのやけど、心は反抗ばかりしている。しかしこの反抗があるんで人生の喜びも悲しみもあり、また仏様に向かう縁にもなる。仏になってしもうたら人間の値がなくなる。」その言葉に衝撃が走った… 2013/04/02