内容説明
世界に例をみないほど大規模な公害問題、水俣病。その被害者である漁民たちの運動や、患者たちの苦悩・希望を克明に描いた『苦海浄土』は、二十世紀の日本文学を代表する作品であり続けている。小説やノンフィクションといった既存のジャンルにおさまらないこの作品を、作者である石牟礼道子は、現代詩の枠組みを超えた「新しい『詩』」であると言った。『苦海浄土』の言葉と、私たちはいかに向き合うことができるのか?
目次
はじめに 『苦海浄土』とは何か
第1章 小さきものに宿る魂の言葉
第2章 近代の闇、彼方の光源
第3章 いのちと歴史
第4章 終わりなき問い
ブックス特別章 『椿の海の記』の世界―語らざる自然といのちの文学
ブックリスト―石牟礼道子の宇宙を読む
著者等紹介
若松英輔[ワカマツエイスケ]
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
59
昨日の政経の公害問題のところで、紹介した本。新しい文学の姿と可能性をもつ作品(007頁)。水俣病は、神経の自由を著しく害(そこ)ない、言葉を奪う病(020頁)。恐ろしいことである。長大な詩は、ときに叫び。嘆き。呪詛。そして祈りでもある(059頁)。鳥も水銀が蓄積された魚を食べます(092頁)。事件で語られたのは、肉体の痛みと精神の苦痛、呻きと嘆きが結晶になったような言葉(132頁)。石牟礼道子さんの略年譜では、3部作であったことがわかる。藤原書店の分厚い本を再読していきたい。2022/10/06
おたま
57
石牟礼道子の『苦海浄土』は以前に一度読んでいるが、その時には十分に腑に落ちた感じがしなかった。『苦海浄土』を題材にした読書会を予定しているのだが、それへの助走としてこの本を読んでみた。若松英輔の文章は、決して分かりにくいものではない。しかし、『苦海浄土』という本に接近していくその姿勢を問われているように思い、そこのところに上手く共振できるかが問題。「「読めない」のは、そこで立ち止まらなくてはならないからです。読書は旅です。むしろ読み通すことのできない本に出会うことこそ、喜びなのではないか、と私は思います」2025/01/06
ちゃとら
46
【図書館本】映画『MINAMATA』から手に取ったが、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んでからにすべきだったと後悔した。2022/03/21
おさむ
36
大長編とあって名作と知りながら、なかなか読めない「苦海浄土」。その架け橋となりそうなのが、本著。批評家の若松さんが丁寧に作品の読みどころや背景、そして水俣学への発展などを説く。箴言も多い。「知性や理性が独走するとき、それはとても危うい」「近代産業におかされた世界は全ての問題は金銭に帰着すると考えるようになる」「幼い頃大人たちは学校では教えない民俗の感覚の伝統みたいなものを教えてくれた」読めば読むほど、フクシマの原発事故が重なってきます。2019/04/14
あきあかね
27
「背負いきれないような苦難を背負ってもなお、世界は美しいと語る無名の人々の言葉」という一節が心に残った。『苦海浄土』で描かれる水俣病は、自然やそこに生きる生き物たちを侵し、人びとから言葉を奪う。こうした語りえないものたちの声を捉まえるため、小説でもノンフィクションでもない、新たな「詩」として作品を書いたと石牟礼道子は言う。 恨みや呪詛を超え、訥々と語られる、海とともに生きた幸福な過去の経験は、フランクルの『夜と霧』を想い起こさせる。言語に絶する苛烈な強制収容所での生活の中、⇒2020/06/19
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