内容説明
服属か、戦争か―それが問題だ。初の武家政権のとった選択は、正しかったのか?亡国の危機を招き、“神国思想”を生んだ蒙古襲来の真実。
目次
第1章 幕府滅亡 強硬路線の果てに―十四万もの軍勢が押し寄せた二度目の蒙古襲来。弘安の役は暴風雨に救われる。しかし恩賞未払いの火種は、幕府を崩壊へ導いていく
第2章 握りつぶした協調の道―服属か、戦争か、二者択一を迫る蒙古に対し朝廷の返書を幕府が破棄。執権・時宗の強硬姿勢の真意とは何だったのか
第3章 幕府が信じた外交ルート―急成長の蒙古にクビライが即位すると南宋攻略が本格化し日本侵攻も囁かれる。なぜ、幕府は南宋渡来僧の情報を重視したのか
第4章 源頼朝“敗訴”からのスタート―初の武家政権を確立した頼朝が直面した課題は公家との貿易訴訟で武家敗訴を決めることだった。武の時代の黎明期をみる
著者等紹介
石井正敏[イシイマサトシ]
1947年神奈川県横浜市生まれ。中央大学文学部・大学院文学研究科教授。博士(歴史学)。法政大学文学部史学科卒業、中央大学大学院文学研究科博士課程単位取得。東京大学史料編纂所助手・助教授、中央大学文学部助教授を経て、現職。中央大学人文科学研究所長、中央史学会会長。日韓歴史共同研究委員会(第1次)委員。専門は古代・中世対外関係史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ぼのまり
4
鎌倉時代というと外交イメージがあまりなかったのだけれど、クビライ・ハーン率いるモンゴル帝国が元寇という形で日本侵攻を考えた時代であったわけで、振り返ってみると状況がほとんど把握できない中で、結構ヒヤヒヤものの政治采配を振るわざるをえなかったことがわかる。まさに『神風』さまさまであったわけだ。それにしても時代を遡っているのに、人間の精神性は進化しているように感じるのは何故だろう?2013/07/19
時雨
1
戦国→室町と遡ってきたので鎌倉編も読もうと。/幕府滅亡の序曲となり、神国思想が後世まで影響を及ぼすことになった文永・弘安の役。対蒙古外交を担当した鎌倉幕府は、あるいはクビライ=ハンの国書を黙殺し、あるいは使者を処刑したことが知られる。幕府の強硬外交を導いた要因は何か、弘安の役から鎌倉幕府草創期まで遡りながら探っていく。史料を読み解く中で、中華世界の文法様式に則さない不審な国書への日本側の当惑、日本側の頑なな態度への大陸側の困惑が浮かび上がる。互いに相手方の情報が不足する中起きたある種の文化摩擦との指摘。2020/12/25