最後の瞽女 小林ハル 光を求めた一〇五歳

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  • サイズ B6判/ページ数 285p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784140810781
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0095

内容説明

風雪に耐えて生きた小林ハルの瞽女唄が聞こえる。

目次

第1章 越後瞽女唄を聴く会
第2章 胎内やすらぎの家
第3章 瞽女廃業の日
第4章 国立劇場の檜舞台
第5章 赤い瞽女
第6章 一〇〇歳を前にして
第7章 瞽女顕彰碑
第8章 仏の求道者小林ハル

著者等紹介

小林ハル[コバヤシハル]
1900年1月24日、新潟県南蒲原郡旭村三貫地新田に生まれる。3か月後、白内障で失明。1905年瞽女の師匠・樋口フジに弟子入り。1907年瞽女唄と三味線の稽古、寒中の信濃川土手での発声練習を始める。1921年師匠サワが死去。残された弟子をかかえて独立する。1973年新発田市の養護老人ホームに入所して、瞽女を廃業。やがて同市の教育委員会の依頼でハルのもつ瞽女唄の全曲の記録録音作業が始まる。1977年社会福祉法人・愛光会「胎内やすらぎの家」に入所。瞽女仲間に再会する。1979年黄綬褒章受章。1986年NHKラジオ「私とハルばあさん」放送(文化庁芸術祭芸術作品賞、放送文化基金賞受賞)。1996年初めてのCD『最後の瞽女小林ハル96歳の絶唱』制作。1999年5月「瞽女文化を顕彰する会」発足。2001年三条市名誉市民に選ばれる。2002年第36回吉川英治文化賞受賞。2005年4月25日午前2時15分、永眠

川野楠己[カワノクスミ]
1930年、東京に生まれる。元NHKチーフディレクター。90年NHKを退職するまで「盲人の時間」をはじめラジオ番組の企画制作を25年間担当。小林ハルの足跡を辿ったラジオドキュメンタリー番組「私とハルばあさん」(文化庁芸術祭芸術作品賞、放送文化基金賞)のほか「祈りと琵琶と~現代に生きる琵琶盲僧」など数多く制作(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

サトシ@朝練ファイト

25
以前TVで拝見し、いつかは著作があれば読みたいと思っていた。ちまたあふれる日本スゴイの論はほとんど意味がないが、本作品を通し瞽女さんという無形文化は真に日本が世界に誇れるものだと思う。読んで良かった。2023/07/02

まいこ

2
視覚障害者で、かつ女性という、大きなハンデを持った人々が、近代までは自分たちで組織を作り芸を持ち、自立して生きていたことの、当事者の声。 師弟関係はとっても厳しく、パワハラ、いじめとしか思えないことも。恋愛禁止、婚姻禁止で、一生を仲間の中で過ごすのはまるで家族のようだ。 ラジオが普及しニュースを伝えるようになるまで、瞽女さんたちがその役目を果たし、村に癒しと娯楽も与えていて、そういう役割を持つことで社会の中に立派な居場所を、障害をもったマイノリティも確保していたんだと思う。2013/12/11

saladin

1
本著は、”最後の瞽女”と呼ばれた小林ハルの生涯を著者が聞き取り、再構成したもの。実は最近読んでいた数冊は、”越後瞽女”の中の”高田瞽女”に関するものだった。が、小林ハルは”長岡瞽女”。彼女たちが巡る先は明確に異なるのだ。だから現役時代は相まみえることもなかったらしい。そんな彼女たちが視覚障がい者専用の老人ホームで出会う場面にグッときてしまった。2025/01/30

ハムりん

1
良い人と組めば毎日が祭り 悪い人と組めば修業2014/09/12

あらい

0
この方の人生を現代の人は知っておく必要があると思った

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