シリーズ・哲学のエッセンス
西田幾多郎―「絶対無」とは何か

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  • サイズ B6判/ページ数 109p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784140093368
  • NDC分類 121.6
  • Cコード C3310

内容説明

自己の深遠を執拗に追究した「哲学的な化物」西田。その「場所の哲学」の核心に迫る。明晰な思考に貫かれた、解説書の白眉。

目次

第1章 純粋経験―思う、ゆえに、思いあり(長いトンネルを抜けると―主客未分の経験;知即行―真理と意志は合致する;デカルトVS.西田幾多郎)
第2章 場所―「絶対無」はどこにあるのか(言語哲学者としての西田;自覚―「私を知る」とはどういうことか;場所としての私;場所的論理―西田論理学の展開;絶対無)
第3章 私と汝―私は殺されることによって生まれる(思想の体系化;田辺元の西田批判;存在する私への死)

著者等紹介

永井均[ナガイヒトシ]
1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得。千葉大学文学部教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ykshzk

15
「海が見える。」例えば小説の中にこういう文章が出てきても、変な日本語ではないはず。英語のように、誰が見ているのか?ということを疑問に思わなくても良い。そこで、私が見ているに決まっているからと言えれば簡単なのだが、それで済まないのが西田哲学の「純粋経験」の面白いところ。私が海を見ているのではなく、海が見えていること自体=私、ということ。突き詰めると、私、というのはどんどん無くなって行く。興味深かったのは西田氏の短歌達。「赤きもの赤しと云はであげつらひ五十路あまりの年をへにけり。」なんだ、結構辛かったのね。 2021/03/22

阿呆った(旧・ことうら)

14
[シリーズ・哲学のエッセンス]後半ちょっとわかりにくいなー。『意志において互いに衝突がない場合が「無意識」、複数の動機が互いに衝突する意志というものが「意識」』というくだりにはなるほどと思いました。2015/10/12

うえ

7
テーマ関係なく冴え渡る永井節。興味深い話も。「むかし私は、本来は世界そのものなのだが言語においては実体化されて個物的な指示対象を持ってしまう「私」を、そのことを表示するために(私の上に×印)と表記しようとした。この表記法はさる学術雑誌の印刷所に拒否されたので、やむなく「×」を解体し「〈〉」と表記することにした。つまり、私×ではなく、〈私〉である。この変形抹消記号を使うと、西田の用語の多くはこの記法が適用できることがわかる。たとえば〈絶対無〉。西田的矛盾語法の根幹にあるのは、ここで述べた種類の問題である」2020/05/12

Yohei

7
想像以上の難しさ。西田vsデカルトは興味深かった。2019/02/27

大道寺

5
<絶対無>が「絶対無」になる。「汝」に殺されて<私>が「彼」として読み替えられる「私」になって、「私」は言葉で表現できるようになる。「私」は「汝」なしにはなく、「私」の自己意識があると同時に「汝」を意識あるものとして捉えることが可能である。西田哲学を使った永井哲学の書。永井哲学によって西田哲学を紹介していると言ってもいい。語る以上は言葉を最重要視せざるをえないのはわかるが、やっぱり何かひっかかる。そこから先は宗教的境地になるんだろうか。2011/11/26

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