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内容説明
世界が現象する瞬間へ!すべてが痕跡であり「読み」によって現象するのなら、そのつどの「読み」の正しさは、どこに求められるのか?デリダの世界認識の深奥に迫る野心的試み。
目次
1 脱‐構築とは何か(差延;反復;脱‐構築)
2 なぜ脱‐構築は正義なのか(痕跡を「読む」とは;反復の不安定性;生き埋めにされた不在のもの ほか)
3 秘密、あるいは証言(正義はつねに秘されたままにとどまる;切迫した「決定」ないし「決断」;不可能な決定に身を投ずる ほか)
著者等紹介
斎藤慶典[サイトウヨシミチ]
1957年横浜生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。慶應義塾大学文学部哲学科教授。哲学博士。専門は、現象学、西洋近・現代哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
田氏
17
現象する、という事態に根ざした抽象概念への思索であるからして、その梗概たる文章が、なるほどー説明が具体的でわかりやすーい、などとなるような現象形態をとるわけもなく。そして本書は、その文章自体がデリダとして現象したものとの対話として表現されるため、入門書というには文体も独特なものにはなっている。序文からして読み手との親和性がテストされているようですらある。とはいえ、文章そのものは平易であり、今の自分にはこの平易さがありがたい。資料として引く類の本ではないかもしれないが、また泊まりたくなる宿のようではあった。2023/09/07
非日常口
8
差延=differance[差異/遅延]という語にはその前提に二者がある。生起する前とその痕跡であり、その境界は動詞的にしか表現し得ない。言葉を話すとき、声にする前の起源不在の現象があるはずだが、存在を確認できない。五感で受けた何かを言葉に翻訳し、また五感へ戻すとき、捨象/連想が付着する。現象を別の仕方でその本体に送り返す脱構築。だが、自身の中で同じ繰り返しが起きる時、小さな世界で私たちは一人より多くなる。孤立をネットは繋げたように見せかける。だが、生きた身体はそこになく、身の回りの災害に気づく間もない。2013/08/23
hakootoko
6
眠りとは、脳のデバックであるとも言う。では、休むとは?起きている間は己に取り憑かれ続ける。休むとは、対象を変えること、別の仕方で処理すること、つまり処理法を変えることだ。読むことは、己を休むことである。目覚めにおいて目覚めることはできないから、眠りにおいて眠り始めねば。懸命に休む!必ずやそのものへ向かって通り抜けようとすれば、別の仕方になる。そこで、われわれはわれわれにおいて憩いはじめる、その眠りにおいてまた眠れるように。何度でも。脱構築は正義である。安眠は脱構築である。安眠は正義である。おやすみなさい。2021/03/05
新地学@児童書病発動中
3
難解な本で読んでいると目まいがした。(苦笑)。脱‐構築さえも脱‐構築することが必要なのだろうか?脱‐構築の果てに見えてくるものはマイスター・エックハルトの言う無に近い気がする。2010/02/12
KS
2
「この本はこういう本だった。」と言ってしまうのは暴力であり、つまりこの本から何も得なかったという事の自白になってしまうのだろうか。2012/09/06