内容説明
「日本=日本人=日本語=日本文学」。国家・民族・言語・文化を一体のものとして捉える等式の下に、作りあげられ、制度化された「日本近代文学」。二葉亭四迷、夏目漱石、谷崎潤一郎、宮沢賢治、中島敦…その「伝統」を最も直截に体現していると言われる表現者たちが、自明化したこの等式に抗いながら、むしろ複数の言語・文化の間を「ゆらいで」いたことを明らかにし、「近代文学史」という特権化された領域を懐疑するとともに、単一性神話に呪縛された「日本近代」をも問い直す。
目次
1 「日本文学」はいかに作られたのか(「ゆらぎ」としての近代散文;引き裂かれる主体、夏目漱石)
2 「日本語」への懐疑(マキノ語通信、牧野信一;越境への意志、宮沢賢治;身体と肉体―横光利一の変節)
3 「物語」としての歴史、「歴史」としての物語(東から西へ、西から東へ―永井荷風の歴史 地政学的軌跡;物語と歴史の間で―谷崎潤一郎の昭和;自己と他者の「ゆらぎ」―中島敦の植民地体験;死者と生者の間で―大岡昇平の戦後;「日本語文学」のゆくえ)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ハチアカデミー
1
「日本=日本人=日本語=日本文学」という等号の暴力性をあばく。漱石に始まり、牧野信一、宮沢賢治、横光利一、荷風、谷崎、中島敦(ナブ・アヘ・エリバ博士!)、大岡昇平らのテクストを基に、文体の、主体の、日本語の、場所の、歴史のゆらぎを読み解いていく。前述の等号の背後には、「国民国家」としての「日本」という欲望が表れていることを指摘し、そこで切り捨てられてきた様々な「近代文学史」の可能性を提示していく。牧野神話の魅力を論じた第三章、「日本語文学」の可能性を論じた終章が刺激的。文学と国家がゆらぐ一冊。2015/06/15
ゆに
0
何年ぶりかの再読。セイタカアワダチソウの指摘や水村美苗論等、以前は(読解力のなさゆえに)読み飛ばしていたところが面白かった。2018/02/23
s_mirai
0
9人の作家を取り上げた力強い評論だった。同時代性を重視した感じはあるが、日本語・日本文学の自明性を疑う手つきは見事。 2010/03/11
琴咲
0
歴史という観点から日本近代文学を見ていくことで新たな文学の読み方を知った。「日本文学」は「日本」で生まれ育った「日本人」が「日本語」で書いたものであるという錯覚は何故起こったのか。これを読んで今まで持っていた日本近代文学観が変わったような気がする。2009/07/27
白石佳和
0
リービ英雄や多和田葉子などの日本語文学について論じた嚆矢の書。ポストコロニアリズムへの問題意識が高いが、夏目漱石や宮沢賢治などの時代背景を含めた読みの視点が大変参考になった。中島敦の分析も、山月記だけでなくその他の作品も含め、人間性の欠如の問題に特化した戦後の読みを批判する視点が参考になった。改めて近代文学を読み直したいと思った。2022/01/18




