出版社内容情報
現代教育の基底に流れる「純粋な贈与」という過剰。教育をいのちあるものとしているものは何か、「限界の教育学」を構想する意欲作。
目次
限界への教育学に向けて―不可能性と可能性を横断する銀河鉄道
1 贈与する先生と受け取る弟子(贈与する先生の誕生とその死―教育の起源をめぐるもうひとつの物語;先生と弟子の物語としての『こころ』―死と贈与のレッスン;「先生」としての漱石―師弟関係における贈与と負債;贈与・死・エロスにおける先生と弟子―第1部のまとめに代えて)
2 贈与と交換を体験する子ども(子どもの前に他者が現れるとき―生成する物語としての賢治童話;異界が子どもを引き寄せるとき―生の技法としての賢治の逆擬人法;交換の物語と交換の環を破壊する贈与―賢治の語りえぬ贈与の語り方;生命の倫理としての贈与と心象スケッチ―第2部のまとめに代えて)
3 贈与と交換とがせめぎ合う教育の場所(生成と発達の場としての学校―生成としての教育の教育学的位相;純粋贈与としてのボランティア活動体験―贈与と交換がせめぎ合う場所;羞恥のマナーから歓待のマナーへ―歴史的課題としての贈与に基づくマナー)
贈与=死のレッスンによる個人の生成―純粋贈与による教育の転回
著者等紹介
矢野智司[ヤノサトジ]
1954年神戸に生まれる。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。教育学博士。現在、京都大学大学院教育学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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soto
4
あやしく開く、表紙の絵の扉。この先に進むと、何が待っているのだろうか。「発達としての教育」を侵犯する「生成としての教育」。漱石や賢治のテキストを手がかりに展開される、交換に回収されない「最初の先生」からの贈与。このようなキーワードに対してなんとなくひっかかっていた自分の肩を、大きく推し進めてくれた本です。2011/10/08
Seita
1
痒いところに手が届かない、というのが、素直な感想だ。贈与という概念はおそらく、教育人間学という分野で新鮮だったのだろう。だからそこに痒みの場所を示したという功績はあろう。しかし手が届いていない。たしかにソクラテスやツァラトゥストラを純粋贈与の教師として捉える視点はありえると思う。だがニーチェがソクラテスを徹底的に批判したことは破格に重要で、その議論を展開せずに名前を並置するだけなのは感心しない。贈与論についても、デリダをきちんと俎上に載せていないので、どうしても素朴に見えてしまう。でもいつか再読はしたい。2017/02/28
Jean-Jacques
0
天才やなと思う。泣きそうになるぐらい感動している。2015/06/28
春猫
0
教育者としての漱石の研究を読みたくて、本書を読んだ。著者が古今東西の思想に詳しいのは序章でわかったが、細かく読解してある賢治論に比べ、前半の漱石論はテクスト論的な読解がほとんどされておらず、がっかりした。よくあることだが、漱石研究者の立場から言うと、頼むから、漱石を当て馬に使わないでほしい。賢治論を書きたいなら、賢治論だけを書くべきだ。2015/03/02
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