中公文庫<br> 中世の秋〈下〉 (改版)

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中公文庫
中世の秋〈下〉 (改版)

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  • サイズ 文庫判/ページ数 472p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784122066670
  • NDC分類 235.04
  • Cコード C1122

出版社内容情報

この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ、ここに、ひとつのゆたかな文化が枯れしぼみ、死に硬直する――、これが、以下のページの主題である。この書物を書いていたとき、視線は、あたかも夕暮れの空の深みに吸いこまれているかのようであった。ただし、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする。

 いま、書いたものをよみかえしてみて、こう思う、もうすこし、この夕暮れの空に視線をとどまらせていたならば、にごった色もしだいに澄み、ついにはまったき澄明さにいたったのではなかったか、と。(「第一版緒言」より)

歴史家ホイジンガが、中世人の意識と中世文化の全像を精細に描きあげた不朽の名著。

【目次】

XIII 信仰生活のさまざま

XIV 信仰の感受性と想像力

XV 盛りを過ぎた象徴主義

XVI 神秘主義における想像力の敗退と実念論

XVII 日常生活における思考の形態

XVIII 生活のなかの芸術

XIX 美の感覚

XX 絵と言葉

XXI 言葉と絵

XXII 新しい形式の到来

史料紹介

参考文献

索 引

ホイジンガ[ホイジンガ]
著・文・その他

堀越 孝一[ホリコシコウイチ]
翻訳

内容説明

この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、ひとつのゆたかな文化が枯れしぼみ、死に硬直する―。(「第一版緒言」より)。

目次

信仰生活のさまざま
信仰の感受性と想像力
盛りを過ぎた象徴主義
神秘主義における想像力の敗退と実念論
日常生活における思考の形態
生活のなかの芸術
美の感覚
絵と言葉
言葉と絵
新しい形式の到来

著者等紹介

ホイジンガ[ホイジンガ] [Huizinga,Johan]
1872年、オランダに生まれる。1905年、フローニンゲン大学教授。1915年、ライデン大学外国史・歴史地理学教授。古代インド学で学位を得たが、のちにヨーロッパ中世史に転じ、1919年に『中世の秋』を発表し、大きな反響を呼ぶ。ライデン大学学長をも務める。1945年、死去

堀越孝一[ホリコシコウイチ]
1933年、東京に生まれる。東京大学文学部西洋史学科卒、同大学大学院西洋史学博士課程修了。茨城大学、学習院大学、日本大学をはじめ、多くの大学で教鞭をとる。学習院大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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kasim

29
中世とルネサンス、相通じるところもありながらここは違う、という風に論調が二転三転するので結構疲れた。多くの人びとの心で形成される文化を語るのはそれだけ入り組んでいるということなのだろう。この時代は視覚偏重(遠近法を発見したルネサンスとの違いが知りたいところだけど、ない)で、それが思考を萎縮させ、物事の重層性に踏み込まず何でも表層的に擬人化し単純な羅列に満足する、というのはまるで現代! 「遊び」への言及もいくつかあり、『ホモ・ルーデンス』も読んでみたくなる。視覚論も面白そう。スタフォードとか。2019/12/16

roughfractus02

7
信仰に浸された日常では、森羅万象が「しるし」として現れる。『薔薇物語』を読む著者はその修辞に、教会に独占され、民衆には口頭で語られる聖書の様々な抽象概念の極端な擬人化を見出す。教会から聖書の知を得る民衆は、象徴主義的な神の代理人である彼らの語りに神秘的な「しるし」を読むしかない。移動する騎士団から伝えられる異邦の言葉とも相俟って、この修辞の力は神秘主義思想を広める素地ともなる。一方、オスマン帝国との度重なる戦争は国家同士の利害を前景化し、騎士道思想の衰退を促し始めている。合目的的思考は中世の終末を告げる。2019/03/18

Copper Kettle

6
手強かった。特に前半の象徴主義や神秘主義を扱った章。中世の人たちが実際に書いた文章が引用されているんだけど、何度読んでもさっぱり分からない...中盤から後半にかけての芸術(主に絵画、彫刻、文学)についてのパートはまだ文章としては理解できた。ただ例えば具体的な絵画を取り上げて説明されてもその絵を知らないので...ネットで検索したりしたけど。という具合で読んでる時は理解したつもりでいても、自分の言葉で説明できるぐらいには消化できていない。けどこれで一旦中世モノは終わりにして先に進もうと思います。2022/08/24

馬咲

3
中世の文学(詩)と絵画美術が、いずれも想念の具象化という動機で一致するも後世で評価が別れる理由の分析が面白かった。実念論的世界観の下で、人々は心にふと浮かんだ想念の現実性を表現するため、現在からすると過剰にアレゴリーを用いた。画家は大抵宮廷からの依頼で主題が限定されており、想念を細大漏らさず盛り込みつつも統一性を保ったが、詩人は自由度が高い分、冗長で表層的な事柄の列挙に陥った。言語で曖昧なイメージを明晰判明にすることへの執着はまだ弱かった。私に芸術的素養がもっとあれば、まだ色々読み取れることがあると思う。2023/04/02

百草丸

0
諺は、あらゆる時代、あらゆる土地土地の知恵と道徳とを集め、ひとつのイメージにまとめている。あるものは、ほとんど福音主義的であり、また、ある者は、素朴な異教の傾向をみせている。日ごろの生活に諺をたくさん使う民衆は、推理、理由づけ、論証は、これを神学者、哲学者にまかせ、かれらじしんは、なにか問題がおこるや、ちょうど打てばひびく鐘の音のように、はっきりした答えを出すある既定の判断に基づいて、これを処理する。むだなおしゃべりはやめ、曖昧さをさけるのである。たえず、もつれた結び目を断ち切るのである。p.1632023/11/04

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