出版社内容情報
日本財政の神様がその晩年に語った、その財政政策や、政党党首として接した大正デモクラシーの群像。自由主義者としての思索の軌跡〈解説〉井上寿一
高橋 是清[タカハシコレキヨ]
著・文・その他
上塚 司[ウエツカツカサ]
編集
内容説明
日本財政の神様がその晩年に語った、自由主義者として生きた生涯の軌跡。未曾有の金融恐慌を乗り切った財政政策や、政党政治家として接した原敬、山本権兵衛、牧野伸顕、田中義一らの横顔。そして自身の宗教観や家庭観、教育論など幅広く、深い知見に満ちた思索。
目次
明治大帝の御高徳
原が刺さるる朝
原君や牧野君らのこと
政治家の第一歩・山本権兵衛氏のこと
経済演説の嚆矢
政党の内情と困った人達
護憲運動と私の立場
予の「決意」
田中義一君のこと
井上準之助君の死を聞いて〔ほか〕
著者等紹介
高橋是清[タカハシコレキヨ]
嘉永7(1854)年、幕府御用絵師の子として江戸に生まれ、仙台藩足軽高橋家の養子となる。藩の留学生として渡米して苦学。文部省、農商務省、横浜正金銀行を経て、日銀副総裁に就任。日露戦争外債募集に成功した。日銀総裁に昇任後、山本権兵衛内閣の蔵相となり立憲政友会に入党した。大正10(1921)年、首相・政友会総裁に就任。都合七度蔵相を務める。金融恐慌ではモラトリアムを実施、恐慌を沈静させた。また世界大恐慌では、金輸出再禁止、国債の大量発行など積極財政による景気刺激策を推進した。昭和11(1936)年の二・二六事件で暗殺された
上塚司[ウエツカツカサ]
明治23(1890)年、熊本県に生まれる。神戸高等商業学校卒業。南満洲鉄道株式会社(満鉄)勤務を経て、大正9(1920)年、衆議院議員となり当選七回。その間、高橋是清農商務相の秘書官などを歴任。南米開拓事業にも携わった。昭和53(1978)年、死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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