出版社内容情報
銅山経営のため南米ペルーに渡るが……。日本財政の守護神と称えられた明治人の、破天荒な生き様と足跡が語られる。高橋是清(1854?1936)安政元年(1854)、江戸・芝露月町の幕府御用絵師の家に生まれ、生後間もなく仙台藩士の高橋家の養子となる。慶応三年(1867)、藩命によりアメリカ留学。明治六年(1873)文部省に出仕し、その後、農商務省特許局長などを務める。明治二十三?二十四年にかけてペルーに渡り鉱山経営に携わるも失敗。帰国後、日本銀行に入り、日露戦争時は副総裁として英米にて戦時公債の募集に尽力。その後、日銀総裁を経て、大正二年(1913)、立憲政友会に入党。第一次山本権兵衛内閣蔵相、原敬内閣蔵相を経て大正十年、内閣総理大臣に就任、政友会総裁を務める。昭和二年(1927)田中義一内閣蔵相として金融恐慌の沈静化に手腕を発揮。その後も、犬養毅内閣、斎藤実内閣、岡田啓介内閣で蔵相を務めるが、在任中の十一年、二・二六事件に倒れる。
高橋 是清[タカハシコレキヨ]
著・文・その他
上? 司[ウエツカツカサ]
編集
内容説明
生まれて四日にして仙台藩士の家に里子に出され、十四歳にして海外を放浪。帰国後、大蔵省に出仕するも失職と復職を繰り返し、やがて宮仕えに飽きたらず、銀山経営のため南米ペルーに渡るが…。日本財政の守護神と称えられた明治人の、破天荒な生き様と足跡が語られる。
目次
1 私の生い立ち時代
2 海外流浪時代
3 帰朝と青年教師時代
4 放蕩時代
5 大蔵省出仕‐失職‐文部省‐校長‐浪人
6 養牧業‐翻訳稼ぎ‐相場
7 再び官途へ―専売特許所長
8 欧米視察の旅―米・英・仏・独
9 旋風時代の国情
10 ペルー銀山の失敗とその後の落魄時代
著者等紹介
高橋是清[タカハシコレキヨ]
嘉永7(1854)年、幕府御用絵師の子として江戸に生まれ、仙台藩足軽高橋家の養子となる。藩の留学生として渡米して苦学。文部省、農商務省を経て、日本銀行に入り、横浜正金銀行を経て、日銀副総裁に就任。日露戦争外債募集に成功した。日銀総裁に昇任後、山本権兵衛内閣の蔵相となり立憲政友会に入党した。大正10(1921)年、首相・政友会総裁に就任。都合七度蔵相を務める。金融恐慌ではモラトリアムを実施、恐慌を沈静させた。また世界大恐慌では、金輸出再禁止、国債の大量発行など積極財政による景気刺激策を推進した。昭和11(1936)年の二・二六事件で暗殺された
上塚司[ウエツカツカサ]
明治23(1890)年、熊本県に生まれる。神戸高等商業学校卒業。南満洲鉄道株式会社(満鉄)勤務を経て、大正9(1920)年、衆議院議員となり当選七回。その間、高橋是清農商務相の秘書官などを歴任。南米開拓事業にも携わった。昭和53(1978)年、死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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