内容説明
隣家の子どもの「とれ、よめ」という声を聞いたアウグスティヌスは、パウロ書簡の「主イエス・キリストを着よ、肉欲をみたすことに心をむけるな」を読んで回心する。叙情的とさえいえる語り口で、自身の来し方を語り、神の恩寵を説く。影響は深甚かつ広大で、西洋世界はこの書の上につくられたと言っても過言ではない。第七巻から第十巻まで。
著者等紹介
アウグスティヌス[アウグスティヌス] [Augustinus,Aurelius]
354年、北アフリカのタガステに生まれ、430年、ヒッポ・レギウスで死去。初期キリスト教最大のラテン教父であり思想家。多情多感な生活を送り、マニ教を信奉していた。その後、ミラノで修辞学の教師をしていたときに、キリスト教に回心する。391年、ヒッポ・レギウスの司祭に、396年には、同司教となる
山田晶[ヤマダアキラ]
1922年(大正11年)宇都宮市生まれ。44年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。大阪市立大学助教授を経て、68年、京都大学文学部教授。85年より南山大学教授をつとめた。西洋中世哲学研究の第一人者であり、アウグスティヌス、トマス・アクィナスの研究、翻訳などで知られる。2008年(平成20年)2月、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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buuupuuu
13
罪とは、神に愛されていることを知らず、神を愛さないということのようだ。人間的な犯罪は副次的なものだとされているように思う。そして愛や罪の大元に自由意志があるとされる。この巻では、外へ向かってさまよっていたアウグスティヌスが回心を経て、内面へ向かっていく。心を記憶という観点から考察し、心像等の貯蔵庫として捉えて認識を説明しようとする見方は、どことなくヒューム等の近代イギリス経験論を思い起こさせる。ヒュームが表面だけを考えるのに対して、アウグスティヌスは心像等のさらに奥を探ろうとするのだが。2021/10/07
ドン•マルロー
10
「とれ、よめ、とれ、よめ……」2018/04/22
うえ
9
「すなわち、滅びるものもやはり善いものなのである。もちろんそれは、最高の善ならば滅びるはずはありませんが、いくらかでも善いものでないとしたら、滅びることすらできないでしょう。もし最高の善であるとしたら不滅であったでしょう…」「あなたにとっては、悪などというものはまったく存在しません。あなたにとって存在しないばかりではなく、全被造物にとっても存在しない。なぜならこの被造物の外部にあって、あなたが被造物に定めたもうた秩序の中におしこんできて、それを破壊するようなものは何もないからです」2015/09/21
nranjen
8
一巻に比べて、二巻のはじめは思わず寝てしまったが、母モニカの話でぐぐっと引き寄せられ、第十巻の記憶論は圧巻。まさにこれが読みたかった。記憶の空間化(貯蔵庫?宮殿?)、記憶は心、記憶は胃袋!?記憶の説明として、過去の物事は心象が付け加え記憶に貯蔵され、想起の時、その心象と一緒に蘇る。しかも、何度も繰り返されているように、問題なのは過去ではなく、想起される時、現在なのだ。こんな解釈がこんなにも昔になされていたなんて。キリスト教についての知識がなくて残念。2021/05/21
hide
7
Ⅱ巻では母や息子との死別を経て精神的深淵に至り、次いでマニ教からの離脱と改心が描かれる。「取れ、読め」の声を聞いて改心するくだり、そして続く章で神への賛美と信仰告白をするシーンは文学的・神学的美しさに満ちている。/キリスト教徒でなくとも、信仰することの素晴らしさに心が動かされた。2021/09/27