内容説明
ローマ帝国末期のキリスト教最大の教父、アウグスティヌス(三五四‐四三〇)。幼少年期の過ちと怠惰、青年期の放埒を赤裸々に告白し、信仰に生きるに至るまでの半生を綴る。己れの弱さと原罪の自覚。虚栄を喜ぶ一方で、不安に苛まれる魂が光を見出す記録は人々の心を捉え続けた。古典的名著を歴史的名訳で送る。第一巻から第六巻まで。
著者等紹介
アウグスティヌス[アウグスティヌス] [Augustinus,Aurelius]
354年、北アフリカのタガステに生まれ、430年、ヒッポ・レギウスで死去。初期キリスト教最大のラテン教父であり思想家。多情多感な生活を送り、マニ教を信奉していた。その後、ミラノで修辞学の教師をしていたときに、キリスト教に回心する。391年、ヒッポ・レギウスの司祭に、396年には、同司教となる
山田晶[ヤマダアキラ]
1922年(大正11年)宇都宮市生まれ。44年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。大阪市立大学助教授を経て、68年、京都大学文学部教授。85年より南山大学教授をつとめた。西洋中世哲学研究の第一人者であり、アウグスティヌス、トマス・アクィナスの研究、翻訳などで知られる。2008年(平成20年)2月、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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加納恭史
25
昨日は朝里温泉「湯の花」で休憩し、気になったこの本を手に取る。以前に松崎一平著新しい古典入門「告白」を読んだが、その松崎一平さんが山田晶訳のこの本を称賛するので、引き続いて読む感じ。この本のⅠ巻目は子供の頃から青年期までのアウグスティヌスの体験の告白。新プラトン主義の影響を確認出来そう。まあ哲学と宗教の合体作かな。キリスト教の哲学を実践し、それを出会った人々と共に語る。彼の母モニカや友人たちとの物語でもある。情欲に悩まされた青年初期や新プラトン主義やアンブロシウスに影響されて見神体験まで彼の精神の軌跡。2025/03/17
マウリツィウス
22
【教父アウグスティヌスとの邂逅】『告白』を最初に読んだのは『ヨハネによる福音書』をより深く、詳細に講解に求めたかったからです。むしろ「博学と力」双方を掲げた最大のラテン教父は絶対的な権威をも告げた。ウルガタ訳聖書を手にしたアウグスティヌスの黙示録刷新は「約束と力」、教父の遺産を語り続ける。『ヨハネ福音書講解』によるマルキオン反駁は古代ユダヤ教の民をも護り抜き、「歴史上に確実に登場した」アウグスティヌスの人物像/到来像は『新約聖書』『旧約聖書』を連鎖させた。『旧約/新約聖書』、キリスト教像を堅固に貫き通す。2014/05/11
えとろん
21
ローマ帝国末期の最大の教父アウグスティヌスの若き日の告白。結構やんちゃしてるし、愛人を作って子供産ませるし、キリスト教に回心するまでは普通の人と変わりません。ただ自分の罪は自覚していてそれに悩んでいるところは、人間臭いです。また翻訳もとても良くてすっと入ってきます。2022/10/05
ロラン
15
アウグスティヌスさんも若い頃はやんちゃでした。窃盗もすれば人妻との不倫もし、身分の低い女との同棲生活も長年経験しました。異端のマニ教(イエスの神性を認めず被造物を崇拝する)にのめりこみ、キリスト教の教説に関心のある振りはすれど、実は説教についての弁論術的な関心しか抱いていませんでした。しかし、親友を病気で亡くしたり、母親や周囲の人々に本気で心配されたりしながら、ついに神が自分を見捨てなかったことに気づき、回心を決心します。そんなアウグスティヌスさんの一代記というだけで、じゅうぶんに読む価値がある一冊です。2017/03/11
buuupuuu
12
自分の半生を振り返って、キリスト教的観点から意味づけている。16年も連れ添った女性に対する態度はあんまりだと思うが、訳者の山田晶の解釈では、この女性への愛こそがアウグスティヌスの回心に決定的な役割を果たしたのだということなので、次の巻でそこに注目したい。自分のようにキリスト教信者でない人間は、このような本をどう読めばいいだろうか。我々は数々のフィクションに親しんでいるから、この本もカッコにいれて、とりあえずは読むことができる。真正面から読むことの難しさは、プラトン等の他の古典にも感じる。2021/10/01