内容説明
小説は、人を遠くまで連れてゆく―。書き手の境地を読者のなかに再現する、小説論という小説、10篇。(本書目次より)文庫版まえがき/まえがき―真に受ける能力―/1 私たちの生を語る言語/2 緩さによる自我への距離/3 グリグリを売りに来た男の呪文/忘れがたい言葉/小島さんの肉声と文学の不死性/K先生の葬儀実行委員として/4 涙を流さなかった使徒の第一信/5 ここにある小説の希望/6 私は夢見られた/7 主体の軸となる現実は…/8 われわれは自分自身による以外には、世界への通路を持っていない/9 のしかかるような空を見る。すべては垂直に落ちて来る。/10 遠い地点からの
著者等紹介
保坂和志[ホサカカズシ]
1956年、山梨県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。93年、『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、95年、『この人の閾』で芥川賞、97年、『季節の記憶』で谷崎潤一郎賞と平林たい子賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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gu
6
「風景を描写する」ということについて、『書きあぐねている人のための小説入門』などを読んだ時点ではテクニックの話程度にしか認識できていなかったが、本書に至ってようやく小説そのものの思考に関わることだと実感できた。一度も言及していないとと思うけどアフォーダンスの概念に近しい話をしているように感じられる箇所が『小説の自由』『小説の誕生』そして本書にはたびたび見られる。2024/05/06
グルーチョ
2
保坂和志は繰り返し「小説は読んでいる時間の中にしか無い」と言う。この小説論は「小説が書かれている時間そのもの」を語ろうとする試みなのだと思う。文章がまどろっこしくかんじることもあるかもしれないが、そのようにしてしか書くことのできない保坂和志自身の思考の揺れや飛躍の過程がありありと伝わってくる。変な言い方をすれば言葉になる以前のなにかを文章にしたような作品になっている。だから自我や他者というものへの意識は薄く、読みづらいのは当然のことながらそれゆえに刺激的で今までに読んだことのないものになっているのだ。2019/01/14
アヴォカド
2
「誰かが書くまで書けると思いもしなかったもの」…そうそう、そうなんだよな小説って。そして読みたいのは、そういう小説なんだ。2013/06/26
kumoi
1
自然を介して私たちは一瞬にして全部わかる。科学的な言葉を紡ごうとするほどに溢れていってしまう何かがわかる。情報を収集し、分析することが現象理解に必要不可欠な行為であることに異存はない。しかしその整理された情報を総合しなければ、人生の意味にならないのではないか。今、まだ自分の言葉になっていない何かを人生の意味と呼んでしまったが、それを魔法だとか奇跡という風に言い換えることもできるかもしれない。しかしそんなことはどうでもよく、情報は自然を介して意味に凝縮されるということを言いたかったのだ。2024/09/01
takeda
1
よくも悪くもいつも通りの保坂さんという感じ。 「私がいなくなると世界もなくなる」というのは嘘だ、ということをずっと主張している。 世界がそのまま続いていく、ということはなにか?という話にも繋がらない。今ここと今以前、今以後の話になるのかと思いきや、「私が木を見るとき、木の今までの時間を感じている」なんて、いやだから、そりゃそうだろ、と思ってしまう。 引用してる著作は相変わらず面白いものが多いが、前までの小説の誕生~シリーズの方が面白かったように思う。2020/03/03
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