出版社内容情報
複雑な谷崎家の人間関係の中にあり、作家晩年の私生活と文学に最も影響を及ぼした『瘋癲老人日記』のモデル女性――今世紀公開された二人の注目の往復書簡。
内容説明
「私はアナタを少しでも余計美しくするのが唯一の生きがひです」―谷崎潤一郎と、『瘋癲老人日記』颯子のモデルとなった渡辺千萬子の往復書簡集。複雑な谷崎家の人間関係のなかにあって、作家晩年の私生活と文学に最も影響を及ぼした女性との日々が活き活きとたちのぼる。
目次
「潺湲亭」のこと(後の潺湲亭)(渡辺千萬子)
昭和二六年(一九五一)‐昭和三〇年(一九五五)
谷崎家の人々(渡辺千萬子)
昭和三一年(一九五六)‐昭和三二年(一九五七)
千萬子抄のころ(渡辺千萬子)
昭和三三年(一九五八)‐昭和三五年(一九六〇)
瘋癲老人日記雑感(渡辺千萬子)
昭和三六年(一九六一)‐昭和四〇年(一九六五)
送り返された手紙(渡辺千萬子)
著者等紹介
谷崎潤一郎[タニザキジュンイチロウ]
明治19年(1886)、東京日本橋に生まれる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝大国文科に入学するも、のち中退。明治43年、小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。「三田文学」誌上で永井荷風に激賞され、文壇的地位を確立した。『痴人の愛』『卍(まんじ)』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など、豊麗な官能美と陰翳ある古典美の世界を展開して常に文壇の最高峰を歩みつづけ、昭和40年7月没。この間、『細雪』により毎日出版文化賞及び朝日文化賞を、『瘋癲老人日記』で毎日芸術大賞を、また昭和24年には、第八回文化勲章を受けた。昭和39年、日本人としてはじめて全米芸術院・米国文学芸術アカデミー名誉会員に選ばれた
渡辺千萬子[ワタナベチマコ]
昭和5年(1930)、京都市に生まれる。同志社大学文学部英文学科卒業。平成13年(2001)、二百通に及ぶ往復書簡を公表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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