内容説明
厳冬期マッターホルン北壁第三登は、アルピニズムの理想を極限まで追求する山岳同志会隊による初の海外遠征であった。想像を絶する戦いを通し、心温まる人間愛を描いた山岳ノンフィクションの傑作。
目次
北壁との闘い
山への憧れ
冬のスイスへ
ツェルマット
北壁への準備
岩と氷と寒気との闘い
装備と食糧について
冬期アルプス登攀について
マッターホルン北壁テクニカルノート、山学同志会編
鉄の時代への進展
著者等紹介
小西政継[コニシマサツグ]
1938‐1996。東京に生まれる。昭和32年、山岳同志会に入会。42年、冬期マッターホルン北壁の、46年、冬期グランドジョラス北壁の登攀に成功する。さらに51年には、ヒマラヤ、ジャヌー北壁の初登攀を全員登頂と無酸素で飾る。59年、アウトドア用品の企画会社クリエイター9000を設立。平成8年9月30日、ネパールのマナスル登頂後、下山途中に遭難し、10月1日より消息を絶つ
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感想・レビュー
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ichiro-k
9
「グランドジョラス北壁」と同様に登頂後の様子が印象的。私の場合は、毎回下山時が辛く感じたので、登頂に45%、下山に55%と体力を使っていた。極端な物言いになるが、生還してナンボ、生きているからこそ記憶は残る。読む順番が逆だったのだろう、読み物としては「グランドジョラス北壁」より劣る。2011/11/16
つちのこ
6
1980年頃中公文庫の旧版で読了。著者は言わずと知れた山学同志会のリーダー。厳冬期マッターホルン北壁第三登は当時を代表する先鋭的な記録。これを読むと著者の半端ではない山への執着と、強いリーダーシップにも感動する。
PukaPuka
3
「ふと顔をあげると、眼界にはイタリア側山頂の鉄の十字架が映っているではないか! 待ちに待った勝利の十字架が!」ー 山学同志会隊による厳冬期マッターホルン北壁第三登(日本人としては初登攀)の記録。著者が山にのめり込んでいく過程も書かれていて面白い。登攀中にアイゼンを誤って片足分落としてしまうが、卓越した技術と不屈の精神で挑み、最後にはビブラムも氷に馴染む、って凄過ぎる。限界を超えた世界は限界を超えた人間にしか見えてこないのだろう。2017/08/17
yuji
2
厳冬期マッターホルン北壁第三登。昭和42年のことである。1ドル360円の時代。渡航費節約のため船でロシアに渡り、鉄道でヨーロッパへ。為替は小西はアイゼンをなくしながらも3日のビバークの末に北壁を登り切った。初日のビバークでアイゼンを落とすシーンは背筋が寒くなる。ブルーアイスの壁をアイゼンなしにどうやって登るんだ!日本人なんかに登れるのか、差別とも中傷ともとれる発言が流れる時代である。しかし、仲間の励ましと信頼で自信を持ち直し登山を継続する。そしてヒマラヤは鉄の時代へ突入する。日本の登山界がもっと熱い時代。2021/10/26
Shoichi Kambe
1
病気による二年間の山行の中断後、海外文献を読み始めるようになった。…………マッターホルン北壁登はんを果たした機会に、精鋭アルピニストとして、自身のつもり積もった思いを一冊の本として発表した。 ①今後アルプスを志す人たちのための参考になる有益な助言を述べている ②アルピニストに対しては、つねに世界の登山界の中にあてはめてみるよう、つねにその視野を広げることを提言している。 ③われわれのマッターホルン北壁のささやかなステップが日本登山界に冬期アルプス時代の開幕をつげたかもしれない。2021/02/20