内容説明
大金持ちの俗人維摩居士の機知とアイロニーに満ちた教えによって、空の思想を展開する一大ドラマ維摩経。人間の求道の過程において「英雄的な行進の三昧」こそ、あらゆる活動の源泉力であると力説する首楞厳三昧経。
目次
維摩経(仏国土の清浄;考え及ばぬほどに巧みな方便;弟子たちと菩薩たちの病気見舞い;病気の慰問;不可思議解脱の法門;天女;如来の家系;不二の法門にはいる;仏陀の食事をもらう;有尽と無尽という法の贈り物;妙喜世界と無動如来;過去の物語と法の委嘱)
首楞厳三昧経(首楞厳三昧の特質;六波羅蜜と首楞厳三昧の修練;神々による首楞厳三昧の解説;魔王と魔界菩薩の物語;釈尊および菩薩たちの奇瑞;法の委嘱と護持)
著者等紹介
長尾雅人[ナガオガジン]
明治40(1907)年、仙台市に生まれる。京都帝国大学文学部哲学科卒業。昭和34(1959)年、学士院賞受賞。昭和55(1980)年、日本学士院会員として選出される。京都大学名誉教授
丹治昭義[タンジテルヨシ]
昭和7(1932)年、静岡市に生まれる。京都大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科修了。現在、関西大学文学部教授
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感想・レビュー
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ねこさん
10
特に六波羅蜜に対する知見が深まるのを感じる。一方で、加湿器が壊れたりするだけで寂しい思いをしたりもする。2024/02/26
aki
0
首楞厳三昧経のほう。英雄的な行進の三昧の話。三昧は「境地」の意味なので、英雄的な行進という境涯と、その境涯を獲得した菩薩の話といえばいいか。英雄的な行進の三昧は、ほとんど仏界の域だから、この境涯を獲得した人は内証(心の中)は仏だが、外用(外側に現れた姿・実践)は菩薩として振る舞う。めったに出現しないが、歴史的存在を経典成立より過去に求めればアショーカ王かなあ。経典成立より未来に求めれば在家の仏教指導者となるが、そんな存在が出現したかどうか。法華経が大綱だとすると、細目にあたる経典。2017/03/04
aki
0
維摩経のほう。サンスクリット語の原典は失われたので、チベット語からの重訳。正直、漢訳経典のほうがわかりやすい感じ。維摩詰が病気になったことを聞いた釈迦が声聞の弟子らに見舞いに行くことを命じるが、弟子たちは過去に維摩詰に言い負かされたことがあって、みな行きたくない。過去の維摩詰と声聞の問答が、なかなかおもしろい。釈迦が病気になったとき、釈迦のためにミルクを托鉢する阿難に向かって、維摩詰は「如来は病気などしない」とキツく叱る。しかし、衆生病むゆえに如来は病むのだから、如来が病気になってもおかしくない。編者も~2016/08/21
脱力toilet
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下世話だけど、菩薩品にて、維摩が天女に法を説く場面があるが、それと、水商売で働く女性にオヤジが説教する構図が似ていて、爆笑した。お経だけど。「仏一音を以て法を演説するに、衆生類に随つて各々解を得」なんだろうけど「よき」言葉を聴くに限る。2013/07/25
Nectar Ambrosia
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灰身滅智が悟りだと思っていたが、この維摩経のお陰で考え方が少し変わった。感謝しています。2022/03/18
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- 和書
- 流砂 〈第23号〉