内容説明
七十七歳の卯木督助は“スデニ全ク無能力者デハアルガ”、踊り子あがりの美しく驕慢な嫁颯子に魅かれ、変形的間接的な方法で性的快楽を得ようと命を賭ける―妄執とも狂恋とも呼ぶべき老いの身の性と死の対決を、最高の芸術の世界に昇華させた名作。
著者等紹介
谷崎潤一郎[タニザキジュンイチロウ]
明治19年(1886)、東京日本橋に生まれる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝国大国文科に入学するも、のち中退。明治43年、小山内薫らと第二次「新思潮」を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。「三田文学」誌上で永井荷風に激賞され、文壇的地位を確立した。『痴人の愛』『卍(まんじ)』『春琴抄』『細雪』『少将滋幹の母』『鍵』など、豊麗な官能美と陰翳のある古典美の世界を展開して常に文壇の最高峰を歩みつづけ、昭和40年7月没。この間、『細雪』により毎日出版文化賞及び朝日文化賞を、『瘋癲老人日記』で毎日芸術大賞を、また、昭和24年には、第8回文化勲章を受けた。昭和16年、日本芸術院会員、昭和39年、日本人としてはじめて全米芸術院・アメリカ文学芸術アカデミー名誉会員に選ばれた
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
271
督助の日記は、彼が77歳の6月16日の記述をもって始まり、同年の11月18日までが断続的に語られる。我々読者は、おそらくこの老人の背後に谷崎自身を見るだろう。性的能力を失うことと、性的な欲求を失くすことは同義ではない。督助は今や悠悠自適の隠居の身でありながら、家長としての権力は絶大だ。そんな彼の関心はひたすらに長男の嫁、颯子に向かうが、彼女へのマゾヒスティックな願望は、今や彼の生と性の目的と化している。自身の死後の世界までを計算に入れた執念である。また、その背後にほの見える谷崎の母親追慕も見逃せない。2015/06/13
遥かなる想い
266
77歳の老人の凄まじい までの性への執着が、全編に漂う日記である。 正直、読みにくく、気持ち のよいものではなかった。 性的不能がもたらした 異常性欲とでも言うべき 妄想とマゾヒズム…息子の 嫁への執着… カタカナだらけの、読み にくいこの本のどこを、 ガーディアン紙は 評価したのだろうか? ある意味、谷崎潤一郎らしい 世界ではあった、とは思う のだが。2015/07/11
コットン
81
高額なキャッツアイを強制的に買わされることになり…「アンマリ年寄ヲイジメナイデオクレ」「ソウ云イナガラ嬉シソウナ顔ヲシテイルワ」事実予ハ嬉シソウナ顔ヲシテイルラシイ。⇒エロいおじいさんのマゾッけのある性春日記だよね。ただ、谷崎はそんな日記の性を余命少ない生にダブらしながら描くことで独特の世界を構築している点が凄い。2015/12/11
たきすけ
43
谷崎潤一郎著「瘋癲老人日記」は齢77歳の老人 卯木督助の病と歪んだ異常性欲を日記構成で追っていく物語。(ちなみに本書執筆時の著者の年齢も77歳との事 自身の影を重ねているのか?)所謂「老人の性」という類を見ないテーマで、死と背中合わせの老人の飽くなき性欲とマゾヒズムのほとばしりを描き、そこから人間の持っている活力と生きる力の源の根源を知る事が出来る、内容を一つ昇華させたものでありました。又本編後の吉行淳之介の作品解説も万人視野でありとても参考になります。2015/10/05
扉のこちら側
42
2017年224冊め。【307/G1000】図書館の書架から抜き出して、棟方版画に仰天した。ページをめくってカタカナに仰天し打ちのめされ、G1000作品の中で読了まで一番時間がかかった。物語は谷崎本人を彷彿とさせる老人がマゾヒズムへ傾倒していく様が面白おかしく、憎めない。 2017/04/22