内容説明
ふとした縁で家で育てながら、ある日庭の繁みから消えてしまった野良猫のノラ。ついで居つきながらも病死した迷い猫のクルツ―愛猫さがしに英文広告まで作り、「ノラやお前はどこへ行ってしまったのか」と涙堰きあえず、垂死の猫に毎日来診を乞い、一喜一憂する老百〓先生の、あわれにもおかしく、情愛と機知とに満たち愉快な連作14篇。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
風眠
168
昭和32年3月の終わり、百閒先生と暮らしていた猫のノラが失踪する。ある日ふいと現れ、いつの間にか内田家の猫になったノラ。そんなに可愛がっているふうでもなく、ノラと張り合うかのように大人げない百閒先生の行動。そしてある日、庭の繁みから外に出て行ったきり戻らなかったノラ。いなくなった猫が心配で可哀想で、ノラや、ノラや、と、ただ泣き暮らしているだけなのに、どうしてこんなに面白いのだろう。可愛くてしょうがないのに、愛情が素直じゃないところがまたユーモラス。後から来た迷い猫クルツの臨終の場面は、私も滂沱の涙だった。2018/06/19
おいしゃん
83
ページをめくれば、「ノラやどこ行った」「ノラを思い出してまた泣く」「今日もノラを探す」と、ペットロスおじいさんの悲痛な日記が、延々と繰り返される。「阿房列車」ですっかり「自己中心気難し爺さん」というイメージしかなかったが、こんなに情の厚い人だとは。居なくなったノラを探すべく、NHK、雑誌、警察まで動員するところは流石であるが、やっぱり憎めない。2015/06/28
アナーキー靴下
76
お気に入りの方の感想に加え、アンソロジー本で読んだ「クルやお前か」が良かったこともあり読む。この本に詰まっているのは猫ではなくて、百閒先生の喪失感。愛猫との別れを経験したことがある人ならもちろん涙なくしては読めない素晴らしい作品だが、純粋に猫の話を読みたい人にとっては百閒先生が邪魔だろう。仕方ない、誰かの猫は、飼い主である人を通してしか見せてはもらえないのだから。「クルやお前か」単品で読んだときは、その言葉に生と喪失しか感じなかったが、木賊の繁みに消えたノラの喪失も内包されているようで…どこまでも悲しい。2021/02/28
nico🐬波待ち中
71
野良猫を野良猫のまま飼おう。飼う以上は名前があった方がいい、とノラと名付ける。これが本当に猫可愛がり!常にノラの好きなようにさせて、寿司屋の玉子焼だけを与えたり、可愛くて堪らず「ノラやノラやノラや」と撫でたり。同じく迷い混んだノラそっくりのクルにも、好きだからとシュークリームのクリームだけを与えたり。この二匹は家族の一員で何物にも換えられない存在!最後は切なくなったけれど、内田先生一家の深い愛情が伝わってきた。我が家にふらっとやって来るノラ二匹にはこんな我が儘はさせられないけれど、愛情だけは注ぎたい!2016/11/27
はつばあば
69
この本は猫を飼ったことのある人でなければ、何と女々しい、老人と猫かい!って思われるでしょうね。ホントそうなんです。たった一日・たった2~3時間帰って来ないだけでどれだけ心配になるか・・。娘も大きくなれば小憎らしい。猫だって気にいらないとひっかくし噛む。それでも猫は可愛い。あぁ~入院中で我が家の猫には会えないが・・爺様と上手くやってるやろかしら2017/09/03