内容説明
会津藩に生まれ十一歳で日本初の女子留学生として渡米、のち陸軍卿大山巌と結婚して「鹿鳴館の名花」と謳われた捨松の情熱の生涯を、百年ぶりに発見されたアリス・ベーコン宛の手紙をもとに辿る。
目次
捨松の青春時代を求めて
会津藩の悲劇
岩倉使節団と女子留学生
ベーコン家の娘となって
一人だち
失意の日々
鹿鳴館に咲いた花
小説『不如婦』をめぐって
女子英学塾の誕生
日露戦争
晩年
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヨーイチ
32
著者は捨松の曾孫、但し大山巌の最初の妻・沢子の四女留子の孫なので血の繋がりは無い。著者のテーマは後半の「日本初の女子留学生」であったが、出版社は鹿鳴館、貴婦人を付けたようだ。戊辰戦争時会津城に籠城した家老の娘が維新後名高い岩倉使節団と共に女子留学生として渡米、彼の地で学位を受ける。帰国後は薩摩出身・大山巌の後妻となり後年は侯爵夫人!として様々な社会活動を推進した。風太郎・エドの舞踏会では山本権兵衛を従えて大活躍をする。続く2022/01/07
Midori Nozawa
6
本を貸して頂き一日で読了しました。満蒙開拓団、昭和史の本と立て続けに読み、関連があって大変面白かったです。戊辰戦争で負け組となった会津藩の少女捨松(咲子から改名)が明治の急激な欧米化政策のために10年間も官費で米国に送られる。名門バッサー大学でさまざまな勉強をして、彼女は日本のためになりたいと切に願う。帰国してみたら政府は彼女を使うどころか、女性は未婚者は肩身の狭い社会であった。18歳年上の大山巌大将との結婚、出産。日露戦争銃後の募金活動など。日本社会の閉鎖性は百年以上たっても同じだと感じた。2021/08/24
MrO
5
一気に読了。とても興味深く読んだ。一つだけ難点を言うとすれば、作者自らも本意でなかったという本のタイトル。捨松自身、鹿鳴館の貴婦人と呼ばれることを最も嫌っていただろうに。しかし、あの時代、それ以外に捨松の能力の幾許かを発揮する道がなかったのも事実だろう。捨松に幸せがあったとすれば、夫たる大山巌の日本人離れした人間的な魅力だっただろう。たまたまにしろ、最初の女子留学生たちが、このような優秀極まりない女性たちでよかった。2015/11/16
ゆずこまめ
5
留学してアメリカの学位まで得たのに、男性のように帰国後政府の仕事があるわけではなく、良妻賢母にならざるを得なかった捨松。政府高官の妻として津田梅子を助けて女性教育にも力を入れ、立派に国の役には立っていると思いますが、本人はもっとバリバリ仕事をしたかったんだろうなぁ。著者は「鹿鳴館の貴婦人」というイメージから捨松を解放したかったようですが、出版社によってこのタイトルになったとのこと。世の中には誤解されている人なのかもしれません。2011/10/27
ACE
4
捨松に関しては歴史秘話ヒストリアとWikipediaでしか知れなかったので、この本は読みたくて仕方なかった。捨松の生涯はもちろん、捨松の書いた手紙が度々載せられており、当時の生の声が分かる。捨松が名を残せたのはアメリカ留学の経験によるものが大きい。鹿鳴館の貴婦人という高貴で上品なイメージとは裏腹に、様々な葛藤や苦労をした捨松も分かって、すごい勉強になった。2014/10/13
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