内容説明
8000メートル峰がすべて未踏だった1929年、敗戦がもたらしたあらゆる障害をのりこえ、世界第3の高峰カンチェンジュンガ(8598メートル)に挑戦、登頂は成功しなかったものの、ヒマラヤ遠征に一時代を画したドイツ隊の記録。簡潔で正確そして感動的な、ヒマラヤ登山の代表的古典。
目次
1 ヒマラヤ行の決心
2 準備
3 ミュンヘンからセイロンへ
4 ダージリンへ
5 シッキムを通って
6 ゼムゥ谷へ
7 偵察
8 カンチェンジュンガ
9 退却
付録(日誌;経費;食糧;装備;写真;医学的現象;カンチェンジュンガの高度および名称;カンチェンジュンガの天候;地図についての注意;文献)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
yamakujira
4
1929年、カンチェに挑んだドイツ隊の記録。エベレストどころか8000m峰は人類未踏の時代に、ドイツの若者が資金を搔き集めて世界3位の高峰をめざした。登頂を果たせずに敗退した記録なのに、1931年には和訳書が発行されているなんて驚く。紀行文は前半だけ、後半は日程、費用、装備などのエクスペディションの詳細を記し、これが当時の日本の若者を刺激したらしい。文庫本は1992年の復刊だけれど、冒頭の「訳者のことば」は戦前のまま、国威発揚を意識する檄文に時代の空気を感じながらも嫌悪感を禁じえない。 (★★★☆☆)2019/12/08
pppp504
0
面白かった。2012/11/27
梅子
0
1929年、まだ全ての8000m峰が処女峰だった時、敗戦直後のドイツからカンチェンジュンガ を目指した"ババリア隊"の記録。初登頂争いが国家の威信をかけた代理戦争のごとく激しかった時代を反映した硬い文体。破格の安さの遠征費で当時最高高度まで登りつめたこの記録は、「自分達もヒマラヤへ行ける!」と日本の若者を刺激し、今西錦司らが外国登山に繰り出すきっかけを作った。アジア人を蔑視していたドイツ人達は、徐々に、100キロ近い荷を背負って平然と歩き、過酷な環境でも楽観的で気さくなシェルパ達へ、深い敬意を抱き始める。
-
- 洋書
- Tyger