中公クラシックス
禅仏教入門

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  • サイズ B40判/ページ数 208p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121601780
  • NDC分類 188.8
  • Cコード C1215

出版社内容情報

禅とは何か? 禅は虚無的か? 禅を世界に知らしめた、英文でかかれた画期的作品を当時、学生だったひろさちやが邦訳。
半世紀を経て校訂し、新たな解説をつけて甦る禅のなかには、極東の人々の、ことに日本人の哲学・宗教・人生のすべてが体系化され、まさに結晶されている大魚と小魚がお互いに不満を抱かず同じ大海に生きるがごとく、キリスト教徒も仏教徒も禅を実践できるのである。禅は大海である、禅は空気だ、禅は山岳だ、禅は雷鳴であり閃光であり、春の花、夏の熱気、冬の雪である。いや、何よりも禅は人間なのだ

目次

1 はじめに
2 禅とは何か?
3 禅は虚無的か?
4 非論理の禅
5 禅―高次の肯定
6 禅の日常性
7 悟り
8 公案
9 禅堂と雲水の生活

著者等紹介

増原良彦[マスハラヨシヒコ]
ひろさちやの本名。1936(昭和11)年、大阪に生まれる。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。気象大学校教授を経て、仏教・インド思想等、宗教について幅広く執筆・講演活動を行っている

鈴木大拙[スズキダイセツ]
1870~1966。仏教学者。本名貞太郎。金沢市生まれ。第四高等中学校、東京専門学校、東京帝国大学文科大学哲学科選科に学び、鎌倉・円覚寺に参禅、今北洪川・釈宗演に師事。渡米し、独学で仏教思想の研究をすすめ『大乗起信論』英訳、『大乗仏教概論』を出版、海外にその名を知られる。帰国後東京帝大文科大学講師、学習院教授、さらに大谷大学教授に就任。日本を代表する仏教学者としてしばしば欧米に赴く。1949年文化勲章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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テツ

28
文字にできない、言葉にできない禅というもの。「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」とはるか昔から示されているように、文章に変換された禅の世界をいくら深く読み込んだとしても無駄な知識が積み重なっていくだけで悟りの境地に至ることなど決してできないのだろう。ただ僕たちのような無責任で無関係な一般人にとっては、そうした本質から漏れ出した禅の香りはとても興味深く面白い。僕が人生を終えるまでかかっても切れっ端すら掴めないような人間の極致の一つがここにあるような気がする。2019/06/24

かっさん

7
禅仏教入門 #鈴木大拙 #読了 #禅 とは、どんなものか、を世界に向かって紹介した一冊。日本人が書いた本だけど原典は英語。禅は #哲学 #宗教 とどう違うかもわかるが、禅とはどんなものか?はやらないとわからないなってことだけは分かる。理解、表現できないけどなんとなく分かる不思議な本 https://t.co/9TkIXDWg4d2022/02/26

roughfractus02

7
著者は「諸君も一服の茶を喫し、自分も喫する」という。英文の邦訳であるこの文を読んで、「茶」の意味を日本茶から紅茶に置き換えてみる。すると「茶」なる語はさらに銘柄や産地へ、一般から個別へと分類され、個々の心境や環境によって味わいも異なる特異な「これ性」に行き着く。が、禅は特異性に留まることをせず、分節の果てに見える世界では捉え切れない超越的宇宙に注意を向ける。そして禅者は「茶を喫する」世界へと戻る。キリスト教の「神にもとらわれない」という禅精神の自由とは、分節世界を無分別の宇宙において再体験する点に存する。2021/02/20

Ryosuke Kojika

6
私が私であることに論理性はない。私はいつの誰でもありえた。しかし、私は私として存在する。偶然は必然。まさに奇跡。そんな私を知性で理解すること自体がナンセンスだと。思考するとは言葉による。言葉は論理を強制する。そこを超えて知性によらない現実世界の把握とは。。。公案の無茶苦茶さが論理を超える補助だと納得。が、公案のやり取りを読んでも永遠に悟りはこない。悟るのは自分自身。それでもしつこく「どうすれば」と聞く私に、1発食らわして、ブルースリーよろしく「考えるな。感じろ」といってくれる禅僧はいるのだろうか。2019/11/06

nitoytk

2
途中読了を諦めかけたが、中程から急に理解しやすい文章になり、あとは最後まで読み通せた。 「最も深く、言葉や連想が発現する前の感情にこそ禅がある。」 「それは心の一部、「高次の」意識にこそ存在する。」 「平常心これ道」 「注意深く、ゆっくりと。絶対の空と寂静のなかに、四六時中住することによって、仏とともにあることが可能」 「手を挙げる、机の端から本を取る、窓の外で少年たちが野球をやっているのを聞く。雲が近くの森をよぎるのを見るーーーこの中で、自分は禅を行じている」 2019/12/03

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