出版社内容情報
桂離宮論で知られるタウトの日本文化論。日本探訪する異国人の瞳に、日本独自の萱葺きや瓦葺きの屋根や畳、床の間はどう映じたか
内容説明
日本の美を「発見」したことで知られるタウトの日本文化論。
目次
洗心亭記
日本の四季
敦賀
奈良
日本の農家
日本の農村
東西農家の比較
生ける伝統
憂愁
別離
日記抄
著者等紹介
タウト,ブルーノ[タウト,ブルーノ][Taut,Bruno]
1880~1938。ドイツの建築家。ケーニヒスベルクに生まれる。同地の土木建築学校を卒業。ベルリンの集合住宅(ジードルング)などの設計で活躍。ナチス政権を逃れて日本へ亡命、1933年(昭和8)5月から36年10月まで滞在した。仙台・高崎で工芸の指導にあたるかたわら、桂離宮をはじめとする伝統建築を高く評価し、『ニッポン』『日本美の再発見』などの著作を残した。36年トルコ政府の招聘でイスタンブール芸術大学教授に赴任、設計や技術者の養成に活躍したが、38年12月アンカラで客死した
篠田英雄[シノダヒデオ]
1897年(明治30年)千葉県生まれ。東京帝国大学哲学科卒業。1934年来、ブルーノ・タウトと相識り、彼の没後、日本に関する諸著および日記の原稿をエリカ・タウト夫人から託されたので、その整理と翻訳に当たった。1989年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ふう
11
タウトが来日したのは昭和8年。まだお歯黒の女性も目にする時代だったのだ。戦争の前後という隔てはあるが、私の生年と30年も離れていないのに、彼の見た日本を私は知らない。奈良、京都をこよなく愛し、富士の秀麗を40枚以上描き、浄瑠璃の照明が明る過ぎる、と谷崎ばりのひと言。初めて日本家屋で寝起きした時のさまざまな戸惑いが可笑しい。靴を脱いで、堅固な壁に護られず、ガタピシする建具や、夜中に走り回る天井裏の鼠に悩まされ、それでも美しいものに敏感で、有名な建造物を観ても付近の路や小径の配置にまで目を配る。2022/02/20
壱萬参仟縁
1
「旅人とは、常に新しい知識の吸収を希求し、物事の観察に優れて意欲的であり、他人との交流を積極的に愉しむ人」(5ページ)である。好奇心旺盛な人で、社交的な人なのだ。タウトに限ったことではないが、外国人がつぶさに日本のありようを率直に書き留めている作品に出合うと、実は、日本人が見落としていた視点や、そこまで仔細に観察されているとは、という驚きもある。それは、地域外からの相対化の視座であり、現代のまちづくりにも敷衍できることである。自己文化を絶対化するのではなく、相対化し、多文化共生の一環として記録を拝見した。2012/07/01
makkachinn
0
タウト氏はナチスに追われたドイツの建築家。日本の伝統建築を高く評価し、銀座などの無性格で醜悪な建築=「いかもの」と評し近代化にひた走る日本を憂いた。本書は雑記形式で、後半は旅日記のようになっている。今でいう高尚なブログだ。※気になる点。タウトの目線は所詮亡命者の目線であり、その境遇には同情しても、やはり日本が「いかもの」になった原因やその背景について、心的、精神的感情を含む洞察が足りないように感じた。日本人としては、開国を迫ったお前らが言うなと、突っ込みたくなり、不快になるかもしれない。2017/08/13
まりも
0
日本への深い愛情と優れた美意識。もしかすると、いまでは彼を感嘆させた日本的なものはわずかしか残っていないかもしれない。個人的には洋風建築は好きなので、その点では氏とは見解が異なるが。いずれにせよ、日本への深い共感と愛情に感謝2012/06/05
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