目次
死にいたる病
現代の批判
著者等紹介
キルケゴール[キルケゴール][Kierkegaard,Soren Aabye]
1813~55。デンマークの哲学者、宗教思想家。七人兄弟の末子として生まれる。17歳でコペンハーゲン大学に入学し、神学と哲学を学ぶ。次々と襲う家族の不幸、厳父との葛藤、恋人レギーネとの婚約破棄などの体験を内面深化させるなかで、数々の文学的・哲学的・宗教的著作を発表する。当時のへーベル風汎論理主義に抗して、不安と絶望のうちに個人の主体的真理を求めたその思想は、20世紀になって注目され、ニーチェとともに実存哲学の祖と称されるようになった
桝田啓三郎[マスダケイザブロウ]
1904年(明治37年)愛媛県大洲市生まれ。法政大学卒。東京都立大学名誉教授。1990年(平成2年)逝去
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感想・レビュー
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Y2K☮
40
「死に~」の後半は私がキリスト教への信仰を持たぬゆえ、時折ハッとさせられるだけで概ね上滑り。でも第一編は珠玉。「絶望して自分自身であろうと欲しない」は別の人間に生まれ変わろうと望むこと。「絶望して自分自身であろうとする」は社会から受けた不当な扱いに抗う行為に生き甲斐を見出すこと(即ち改善を欲していない。改善されたら充実の日々が終わってしまうから。小林よしのりが「脱・正義論」で学生たちに運動から離れて日常へ帰れと言ったことを思い出す)。大切なのは主体性。誰にも阿らず、いまここで生きる己の主観追求へ舵を切る。2021/07/04
肉欲棒太郎
7
『死にいたる病』「絶望」という概念に対する認識の甘さについて反省させられた。単独者としての自己、すなわち主体性を自覚すべしとの言に動機付けられるが、キルケゴールの場合、神を持つ者のみが自己を持つ者である、というのがなんとも取っ付きづらい。『現代の批判』新聞という媒体が生んだ「水平化」時代への批判は頷くところ多々あり。「神の死」を宣告したニーチェと、敬虔なキリスト者であるキルケゴールが、ともに大衆(公衆)社会への批判で一致したのは興味深いなと。2016/02/14
磁石
7
現在において自殺の原因は、熟慮に熟慮を重ねて初めて行われる。そのことから、その熟慮こそが自殺の原因になっているという指摘がある。キルケゴールは19世紀の人なはずだが、21世紀の今でも通じるものが、その洞察にあるのではないかと思う。2013/10/06
無能なガラス屋
5
「ほんとに、たった一度だけでも、なにか途方もない愚行をやらかすような人間が、まだ一人でもいるだろうか?」2024/07/19
tekesuta
4
やあ、厳しい厳しい。しかし、実存主義のさきがけということもあって自分ひとり単独で神の前に立つ、他ならぬ自分が、というような考え方は身がひきしまる思いになるし、公衆について書いた部分も、すべてが均一された人間の度し難さを警告していて拝金主義の問題も自己責任の問題も、ここに帰結するということがわかる。客観的な真を求める気持ちから起こる情熱のなく分別くさい時代における問題。 2012/08/14