出版社内容情報
建武2年(1335)7月、信濃で北条高時の遺児時行が挙兵した。破竹の勢いで鎌倉を落とした彼らの動きに、時の政権は戦慄する。後醍醐天皇、足利尊氏、護良親王など多くのキーマンの運命を変えた反乱の内実を読み解き、その歴史的位置づけを示す。
内容説明
鎌倉幕府滅亡から二年後の一三三五年、北条高時の遺児時行が信濃で挙兵。動揺する後醍醐天皇ら建武政権を尻目に進撃を続け、鎌倉を陥落させた。二十日ほど後、足利尊氏によって鎮圧されるも、この中先代の乱を契機に歴史は南北朝時代へと動き出す―。本書は、同時代に起きた各地の北条氏残党による蜂起や陰謀も踏まえ、乱の内実を読み解く。また、その後の時行たちの動向も追い、時流に抗い続けた人々の軌跡を描く。
目次
序章 鎌倉幕府と北条氏
第1章 落日の鎌倉幕府
第2章 北条与党の反乱
第3章 陰謀と挙兵―中先代の乱1
第4章 激戦と鎮圧―中先代の乱2
第5章 知られざる「鎌倉合戦」
第6章 南朝での活動
終章 中先代の乱の意義と影響
著者等紹介
鈴木由美[スズキユミ]
1976年、東京都生まれ。中世史研究者。99年、帝京大学文学部史学科卒業。現在、中世内乱研究会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
139
教科書では数行で片付けられる中先代の乱だが、その実像と歴史に及ぼした影響の大きさに驚かされる。建武の新政を揺るがせて南北朝時代の幕開けとなり、南朝の延命に手を貸して足利幕府の天下が落ち着くのを妨げ続けたのだから。いったん滅んだ元権力者の子孫がここまであがき続けた例は他になく、敗者の無駄な反乱どころか日本史上に大きな足跡を残したといえる。北条時行が鎌倉幕府再興を目指し戦いに明け暮れた25歳の生涯は、同じく時流に反逆した源義経や石田三成よりも鮮烈だ。時行に魅了された著者だからこそ、ここまで追い求められたのか。2021/09/14
六点
107
『逃げ上手な若君』履修用副読本として購読。中先代の乱のみならず、北條氏全般についての解説から北條氏がその滅亡や中先代の乱を始めとする反乱とその敗北、その後の歴史に残した残影に至るまで、コンパクトにまとめられている。しかし、後書きにある通り「好き」のエネルギーというものは本当にすごいものである。どのような内容かはぜひ読んでいただきたい。2024/08/24
Willie the Wildcat
85
南北朝時代への転換点。先代/当御台/中先代が、それぞれ果たした役割と意義。建武政権内外に潜在していた”困惑”の掃討。両統迭立と武家社会のあり方。前者は、正慶vs.建武が各人の立ち位置を暗喩。後者は、26件の各地での反乱の”中身”。象徴の鎌倉、故の”中”先代という感。室町幕府初期の統制や、小田原北条氏に垣間見るブランド力も北条家の”遺産”也。意図した形とは異なれど、時行の夢が現実になった気がしないでもない。巻末の『建武政権期における反乱』資料は、やはり興味深い。2022/10/10
molysk
83
鎌倉幕府滅亡ののち、北条氏が再び鎌倉を支配した時期があった。奉じるは最後の得宗高時の遺児、時行。信濃に挙兵して一月ほどで鎌倉に入るも、二十日あまりで足利方に鎌倉を追われる。中先代の乱である。鎌倉幕府の北条氏を先代、室町幕府の足利氏を当代として、短期間でも鎌倉を支配した時行は中先代と称された。時行が好きという筆者は、卒業論文で時行をテーマにしようとした際に、史料がないからやめるように指導教官に言われたという。在野の歴史家として執筆した本書は、多数の文献をもとに論理を積み上げているように見えて、好感が持てる。2022/03/13
skunk_c
71
著者はいわゆる在野の研究者で、北条時行が「好きすぎて」のめり込んだとのこと。丹念な史料吟味がされ、関連の叛乱を表にまとめるなど、丁寧な仕事で、建武新政に反発する東国の武士を糾合し、たった20日間とはいえ幕府滅亡後の鎌倉を占領し、その掃討戦が足利尊氏の権力奪取につながっていったという出来事について、ぐっと認識が深まった。ただし乱当時時行は7歳。多分数え歳と思われるので今でいえば就学前の児童。当然著者も承知なのだが、端々に時行vs尊氏のような記述となっている。これが著者の時行愛故ならご愛敬だが違和感もあった。2024/09/20
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