内容説明
漢意を排斥して大和魂を追究し、「物のあはれを知る」説を唱えたことで知られる、江戸中期の国学者・本居宣長。伊勢松坂に生まれ、京都で医学を修めた後、賀茂真淵と運命的な出会いを果たす。以来、学問研究に身を捧げ、三十有余年の歳月を費やし『古事記伝』を著した。この国学の大成者とは何者だったのか。七十年におよぶ生涯を丹念にたどりつつ、文学と思想の両分野に屹立する宣長学の全体像を描き出す。
目次
第1章 国学の脚本
第2章 学問の出発
第3章 人生の転機
第4章 自省の歳月
第5章 論争の季節
第6章 学問の完成
第7章 鈴屋の行方
著者等紹介
田中康二[タナカコウジ]
1965年大阪市生まれ。94年神戸大学大学院文化学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)(神戸大学)。富士フェニックス短期大学助教授、神戸大学文学部助教授を経て、神戸大学大学院人文学研究科教授。日本近世文学。著書『村田春海の研究』(汲古書院、2000、日本古典文学会賞)ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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mitei
328
本書は本居宣長を扱った一冊。当時解読困難と言われた古事記を一言一句検討しながら、解読し、時には論争も重ねながら書き上げる姿に驚く。当時の論争も今と似ているなと感じた。また本居宣長が確かに今の保守派の様な皇国史観を掲げているが、鎖国時代には普通の議論だったとのこと。日本史上有力な学者の1人だと感じる。それにしても今流行りの終活をそこまで先取りしていたことにも驚いた。2015/11/23
ころこ
40
カントと同時代人なのに、なぜこんなにも知らないのか。基礎知識がない状態で読んで気付いたのは、宣長がアカデミシャンでなくて在野研究者であり、町人であったという点です。ただ古い文献を好事家が読んでいるということではなく、文献実証主義的に文献と注釈の区別があり、その中でも近代的な方法論が議論になっています。前半生のああでもない、こうでもないと様々なところを渡り歩いていることに目を向けるべきでしょう。内容の良し悪しはまだ判断ができませんが、近代の問題を考えるのに、プレ近代をみない訳にはいきません。2019/04/21
双海(ふたみ)
30
将来、全集を揃えようと思っている文筆家が何人かいますが、その内のひとりが宣長大人です。和本も集めています。何分勉強不足で感想など書けません・・・。2015/07/07
かんがく
14
本居宣長の業績を、10年ごとに区切って記述。それほどドラマチックな人生でないので、伝記としてはあまり面白くない。ただ、まえがきやあとがきで著者が語るように、この記述法は偏った宣長像を正すためであろう。宣長の寛容さ、論争好き、師匠の真淵との関係などが、豊富な引用とともによくわかる。古事記など歴史研究については知っていたが、和歌研究についてはあまり知らなかったため知れてよかった。2019/02/18
giant_nobita
12
本居宣長の全体像を描くためには彼の極右思想についても触れる必要があるというのは理解できるが、新書という体裁で現代からすれば読むに値しないような文章をこんなにもたくさん引用する必要はあったのだろうか。似たような趣旨の文章ばかり並べ立てる代わりに、宣長の思想的背景だったり受容史についての記述を増やしたほうが、入門書としては親切だったと思う。国語学に関しては秋成との論争の時と最終盤に子息の業績を述べるための話の枕として瞥見されるに留まっているため、バランスが悪い。宣長の著作のさわりを楽しみたい人向けの本だろう。2017/09/25