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中公新書
照葉樹林文化とは何か―東アジアの森が生み出した文明

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  • サイズ 新書判/ページ数 322p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121019219
  • NDC分類 389.2
  • Cコード C1220

出版社内容情報

モチやナットウを食べ、ウルシや竹を利用し、山の奥にあの世があると考える…日本文化のルーツである照葉樹林文化論の集大成。

内容説明

ヒマラヤから西日本に広がる照葉樹林帯。そこでは森によって育まれた共通の文化が生まれた。モチやナットウを食べ、カイコや漆を利用する。高床吊り壁の家に住み、山の中にあの世があると考える…。本書では、日本文化のルーツでもある照葉樹林文化の特徴を紹介するとともに、照葉樹林文化論の誕生とその展開を概説。さらに長江文明や稲作の起源との関連について最先端の研究者との座談会を付した、照葉樹林文化論の決定版。

目次

第1部 照葉樹林文化とは―目で見る照葉樹林文化(照葉樹林帯とその生業;照葉樹林帯の食文化;さまざまな文化の共通性)
第2部 照葉樹林文化論の成立・展開と日本文化の形成(照葉樹林文化論の成立―その背後にあるもの;照葉樹林文化論の展開;照葉樹林文化と稲作文化;日本文化の形成と照葉樹林文化)
第3部 討論 照葉樹林文化と稲作文化をめぐって(照葉樹林文化論と稲作文化―問題提起に代えて;イネを生み出した前提条件はなにか;栽培稲の誕生;長江中流域か下流域か;照葉樹林文化と稲作文化の位置付け;長江文明の稲作の実態;照葉樹林文化論の検証)

著者等紹介

佐々木高明[ササキコウメイ]
1929年、大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。立命館大学助教授、奈良女子大学教授、国立民族学博物館教授、同館長、アイヌ文化振興・研究推進機構理事長を歴任。国立民族学博物館名誉教授。専攻・民族学。照葉樹林文化論を中尾佐助とともに構築・提唱(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

翔亀

44
1966年の学説を提唱者の一人が40年を経て補強を加え総括した書。雲南-ブータン-ヒマラヤの照葉樹林帯の人々の暮らしに、日本と同じ餅や納豆、茶を発見した驚きが発端。日本も同じ照葉樹林帯だと学説に高めた。これが注目されたのは、日本の起源に関係するから。狩猟採取の縄文時代→水田農耕の弥生時代へと直線的に発展(或いは征服)した歴史認識に対し、縄文時代に稲を含めた農耕・餅・納豆からなる文化が存在して、それに弥生時代に水田が重なったという、多起源説だったからだ。その後、考古学的にも縄文時代の稲の存在が実証される。 2015/08/12

井上岳一

4
中尾佐助の照葉樹林文化論提唱後、学説がどう移り変わってきたのかが真摯にまとめてある。これを読んで、照葉樹林文化と稲作文化の関係がようやく腑に落ちた。京都学派の人々が築き上げた「知の共同体」の凄さを改めて感じさせる一冊。日本人のアイデンティティ、アジアとの関係について考えたい人は必読の書。2015/04/22

読書履歴

4
2007年刊。ネパール、ブータン、アッサムから東南アジア北部山地、雲南・貴州高地、長江流域の江南山地を経て西南日本に至る照葉樹林帯に共通の文化的特色で特徴づけられる文化的まとまりを考えるスケールの大きな学説の入門書。第一部では循環型焼畑、モチ性食品、ナレズシ、納豆など大豆発酵食品、コンニャク、麹酒、茶、漆、歌垣、天の羽衣伝説などの共通点の解説(51頁の図版が印象的)。第二部は学説の成立史で、稲作文化との関係性が少々難しい。第三部は主に稲作文化の成立に関係した議論が展開されている。2013/09/21

kaizen@名古屋de朝活読書会

4
本書の照葉樹林文化からは離れているかもしれません。中国南部の南寧を訪れたことがあります。 北京の漢民族と南寧の人たちとの距離よりも、日本人と南寧の人たちの距離の方が、短いと感じました。直感は学術的ではありませんが、学術の理解に直感は必要だと思われます。南からの文化が、日本の文化の何割を占めるというような定量的な結論が出せるかどうかはわかりません。少なくない比率だという感触を持っています。そういう感触を持って読むと、楽しく読むことが出来ます。百聞は一見にしかずとか、現地、現物といいます。2009/05/19

イツシノコヲリ(丹波國)

2
大学の授業の一部で扱われていたので興味を持ち読んだ。この書籍は照葉樹林文化そのもののというより、稲作の扱い方や学説の変遷がメインでした。焼畑農業の是非については、平地で焼畑農業をやっていたという説明はされていた。一見理にかなっているような学説だが、平地から山へ人が移動したことをどう捉えるかや東亜半月弧の妥当性や稲作地帯との関連性など様々な課題があり、文化というものの奥深さを感じさせられた。最後に触れられたモチ性の雑穀がなぜインドには登場しなかったという指摘が一番重要ではないかと思った。2024/02/19

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