内容説明
江戸時代初期、よりよい生活を求めて、生まれた村を離れた農民たちがいた。大名たちは大事な年貢を生み出す耕作者をより多く手元に置こうと、他領から来た者は優遇し、去っていった者は他領主と交渉して取り戻すべく躍起になった。藩主と隠居した先代とが藩内で農民を取り合うことさえあった。「村に縛りつけられた農民」という旧来のイメージを覆す彼ら「走り者」を通し、大名がどのように藩を切り盛りしたかみてみよう。
目次
第1章 農民を欲しがる大名たち―「走(ら)せ損、取どく」
第2章 いかにして耕作させるか―「少の御百姓」
第3章 戦乱の終了から大開墾へ―「国に人を多く」
第4章 家臣の苦労、隠居の言い分―「去留自由」の原則
第5章 大名の台所事情―「天下の大病」
結びにかえて―走り者とは何だったのか
著者等紹介
宮崎克則[ミヤザキカツノリ]
1959年(昭和34年)、佐賀県に生まれる。1989年、九州大学大学院文学研究科博士課程(日本史)単位取得退学、同大学九州文化史研究施設助手を経て、現在、九州大学総合研究博物館助教授、文学博士
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感想・レビュー
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きみたけ
59
著者は九州大学総合研究博物館助教授(2002年当時)で文学博士の宮崎克則先生。江戸時代前期の豊前国細川領を主な対象として、「走り者」の頻出と権力側の対応について詳細にまとめた一冊。「走り者」とは、農民が自分の住む土地を離れ、より良い生活や地位を求めて、他の大名や家臣の領地へ移り住む者のことで、当時全国各地で頻繁にみられた現象。大事な年貢を生み出す耕作者をより多く手元に置こうと、権力側がお触れを出し必死になっていたことがよく分かりました。2025/04/30
金監禾重
9
タイトルはこうだが、豊前小倉藩時代の細川領を中心に百姓の逃げた事情や行き先を検討し、江戸時代初期の社会が逃げてきた百姓が優遇される、流動的なものだったことを明らかにしている。もっとも受け入れる大名もまた、百姓に逃げられて荒れた農地をもて余しているのであり、百姓が逃げやすい政策には限界がある。大名は百姓を追い、大名間で相互に人返しをするようになる。かくして固定的、閉鎖的な社会となった。続く2020/01/29
arry
6
江戸時代、農民が村を捨て移動する事を「走り」と呼ぶが、読み進めるうちにひとつ疑問が。江戸を境に西と東では農民の環境がだいぶ違うという事。関東圏では、藩に属さない地域は領主や地行による統治がされていて、幕領であった武蔵は走りは出てないのではないか?という事。むしろ、各地の走りが関東圏で耕作したのではないか?という点。時代考察は出来るが地域差に関して考慮したながら読む必要があるのでは無いか?と思いました。2025/03/14
shushu
6
江戸時代、農民は土地にしばりつけられていた、というイメージだったが、初期はそうではなく、逃げる人もいたし、労働力として迎え入れられていた、とは知りませんでした。文献が豊富に引用されているから読める人には面白いでしょうが、日本史や古文なんてまるっきり忘れている人間にはレベルの高すぎる本でした。2017/11/17
さんとのれ
5
「走り者」というと夜逃げのようなものを想像してたけど、逃げる先の情報をきちんと手に入れたうえでの結構計画的な行動であったりしたらしい。年貢の負担のより少ない生活を目指しただけでなく、小さい社会の中にがんじがらめに組み込まれている生まれ育った村を出て、新天地で自立の可能性を求めたいという側面もあったとか。この時代の農民は死ぬまで土地に縛り付けられていた、というステレオタイプに異を唱える説自体は面白かったけど、ちょっと読みにくかった。2015/02/10
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