感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
夜長月🌙
57
松山市に捕虜収容所がありました。特に日露戦争時にはロシア将校のほとんどを引き受けたため町の様相が一変しました。収容所といっても監獄ではなく公会堂やお寺でした。当時は日本の世界的位置を高めるために捕虜の扱いは模範的で道後温泉に入れるのはもちろん県外観光にまで連れていってました。捕虜は祖国から送金を受けたため飲食店など商工業が潤いました。太平洋戦争時は松山に収容所は無かったのですが消耗戦という時代背景から捕虜は過酷な仕事の労働力となり労働場所によっては捕虜の1/3を死亡させたことがかえって浮き彫りとなります。2019/03/30
とーとろじい
3
実際に「シベリア帰り」を経験した著者が、日露戦争から太平洋戦争に至るまで、日本国内における捕虜がいかに扱われたかを著した一冊。客観的な知識をベースにしながらも、所々に捕虜の言葉を織り交ぜ、往時の生活を活写してみせるその文章には記録文学の趣さえ感じられる。愛媛の松山では日露戦争のロシア人や青島戦のドイツ人などを収容した。坊っちゃん列車が捕虜を乗せていたとは知らなかった。日中戦争になると捕虜は生産力とみなされ、新居浜の別子銅山で中国人を労働させたと。余裕のなくなっていく日本の姿がその扱いの中に表れている。2021/05/13




