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キプリングの日本発見

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  • サイズ B6判/ページ数 535p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784120032820
  • NDC分類 935
  • Cコード C0098

内容説明

こんなにも豊かで美しい明治ニッポンとユーモアと洞察力あふれる若きキプリング。「東と西」はこうして出会った。

目次

1 一八八九年(明治二十二)四月十五日―五月二十八日(日本へ向かうキプリング;長崎;瀬戸内海、神戸;神戸 ほか)
2 一八九二年(明治二十五)四月二十日―六月二十七日(東洋の最先端、および詩「鎌倉の大仏」;海外で暮らす西欧人、および詩「躓きの石」;地震の話;六点の絵画、および詩「最後の絵」 ほか)

著者等紹介

コータッツィ,ヒュー[コータッツィ,ヒュー][Cortazzi,Hugh]
1924年英国生まれ。日英交流史研究者。セント・アンドルーズ大学在学中の1943年に日本語特別訓練生として英国空軍に入隊し、ロンドン大学で日本語を学んだ。46年に進駐軍将校として来日。49年に英国外務省に入り、本省、東京、シンガポール、ボン、ワシントンなどに勤務。80年から84年にかけて駐日英国大使。退官後もロンドンのジャパン・ソサエティ理事長などとして日英親善に尽力

ウェッブ,ジョージ[ウェッブ,ジョージ][Webb,George]
1929年英領ケニア(当時)生まれ。キプリング研究者。父親は英領ケニアの視学官。38年に英国に戻り、マルヴァン・コレッジを卒業。英国陸軍での勤務を経て、ケンブリッジ大学キングズ・コレッジに学んだ。その後植民地行政官としてケニアに赴任。1956年のケニア独立後は英国に戻り、外務省職員としてバンコクやテヘランなどに勤務。85年からはロンドンのシティ・ユニヴァーシティの成人教育部門担当スタッフ。少年の頃からキプリング作品の愛読者で、1980年から2000年まで21年間にわたり、キプリング協会の発行する機関誌Kipling Journalの編集長を務めた

加納孝代[カノウタカヨ]
1944年福岡県生まれ。青山学院女子短期大学英文学科教授。東京大学文学部社会学科卒業後、東京大学比較文学比較文化科の、修士博士課程を修了。1977年から6年間同大学院研究室の助手を務めたあと、83年より青山学院女子短期大学に勤務、現在に至る。研究分野は文学作品や宗教関係文書の翻訳、および旅行者の記録や報告書による英米圏と日本の交流史
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヴェルナーの日記

3
『ジャングルブック』で有名な著者による日本の紀行文。著者がインドからアメリカへ漫遊旅行する途中、立ち寄った日本の景色を、所属する新聞社へ寄稿した内容をまとめた作品。彼は日本に2度ほど滞在しているが、時代は、明治の中期であり、日本が欧米列強に肩を並べようとしていた頃で、季節はいずれの春だった。滞在先は、長崎から鎌倉へと至る道順で、当時の街の様子が、著者独自の視点で描かれている。その筆致は、流石ノーベル賞作家といえるほど才筆に富んだ内容に編まれている。その筆先は、現在でも十分に読者に迫ってくる俊逸さを持つ。2014/05/30

カムリン

3
キプリングの名前に惹かれて読んだ。当時のインド在住者にはすぐわかる表現(でも現代日本人にはさっぱりわからん表現)が多い。なんでも見てやろうという感じの体当たり的な旅行記だが、新聞の連載記事として書かれたせいか、時にユーモラスに時にシニカルにと、読者を意識したサービス精神旺盛な書き方をしている。実際にはくたびれて退屈な時間が長かったはずなのにね。キプリングの人柄が見えてくるような本。ラフカディオ・ハーンとはまた違った視点で観察された明治日本の様子も興味深い。2010/10/29

あまなっとう

2
23才の青年新聞記者→後に有名作家となるキプリングが旅した120年前の日本。西洋人から見るとみんなニコニコしていて、子どもが大切にされていて、清潔で、美しい美術品、美しい町、畑etc. 国際社会にいきなり大またで飛び込んできた日本。おもしろかった。もっと書いたものが残っていればよかったのに。2009/05/07

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