- ホーム
- > 和書
- > 教養
- > ノンフィクション
- > ノンフィクションその他
内容説明
虜囚の身を嘆き、友の死を悼み、日本の軍人に憤り、看護婦の優しさに胸打たれる捕虜たちの日常生活と、彼らが見た明治日本を知る新発見の貴重な写真と証言。日露戦争の旅順で捕虜となったロシア青年士官の収容所体験記。
目次
松山におけるロシア人捕虜の生活 1(第1バラック;回復期の患者と病人;ロシア皇帝在位10周年と天長節;捕虜交換;誓約;ロシア語の禁制印刷物;松山の朝;松方伯爵の訪問;戦地からの日本の報道;チェルネレッキーの死と葬儀;捕虜将校の感情;宣誓による捕虜釈放の覚書 ほか)
松山におけるロシア人捕虜の生活 2(勝利者の祭典;病院の捕虜の日々;優しい看護婦;中庭の草の上で;献身的な看護婦;カジミール;狂人;旅順港守備隊の残党 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
やまはるか
13
1904年(明治37年)から翌年にかけ朝鮮半島・満州の支配権をめぐって争った日露戦争で、日本軍の捕虜となったロシア兵約7万人が二十数か所の日本各地の捕虜収容所に収容された(露軍の日本人捕虜は2千人)。学生で従軍記者であった筆者の松山捕虜収容所での記録。日記形式ではなくテーマごとに纏められている。捕虜にはフランス領事を通じて給料が渡され、道後温泉に出掛けたり買い物をすることも出来た。捕虜の扱いに気を配ったのは、解説に「捕虜待遇に戦略的ネライも」とあるとおり、日本が国際的な信用を気にしたためらしい。2025/09/02
-
- 和書
- 大暴落 カドカワノベルズ