出版社内容情報
松尾 千歳[マツオ チトシ]
著・文・その他
内容説明
大国・明と薩摩、家康が秀吉排除に向けて意を通じていた―。関ヶ原の戦いの後、敗れた西軍の武将には極めて厳しい沙汰が下されたが、島津氏はなぜか所領を安堵され、この異例の優遇は大きな謎とされてきた。だが、最新史料を詳細に分析した結果、朝鮮出兵の最中、島津氏と明が太閤秀吉打倒へ向けて連絡を取り合い、その企てに家康も関与していた可能性が高いことがわかってきた。戦国の興亡史を塗り替える歴史考証。
目次
第1章 豊臣政権と朝鮮出兵
第2章 薩摩と明の合力計画
第3章 海洋国家薩摩
第4章 西欧との出会い
第5章 豊臣政権と島津氏
第6章 徳川政権と島津氏
第7章 途切れた明とのパイプ
著者等紹介
松尾千歳[マツオチトシ]
1960(昭和35)年福岡県生まれ。鹿児島大学法文学部卒業。尚古集成館館長、鹿児島大学非常勤講師、鹿児島国際大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
パトラッシュ
115
日本史上で秀吉ほど好き勝手した権力者はいないが、おかげで各方面に強い恨みを買っていた。領地を減らされ朝鮮の役で重い軍役に苦しみ兄弟を死に追いやられた島津義久と、属国である朝鮮に侵攻した日本軍の撃退に苦しんだ明朝は筆頭格といえる。海洋交易で結びついていた両者が秀吉排除の一点で密かに協力し、次の天下を狙う家康が島津の秘密を見て見ぬふりをしてもおかしくはない。秀吉死後に家康が島津を厚遇し関ヶ原以後も取り潰しや減封を行わなかったのも、裏で手を組んでいたのなら納得できる。このテーマで書かれた歴史小説を読んでみたい。2022/09/24
coldsurgeon
9
関ヶ原の戦い以降の、徳川家康の薩摩・島津家の扱いは、厚遇としか言えない。関ヶ原の戦いで西軍につかざるを得なかった島津義弘であったが、それ以前から、豊臣政権下で、徳川と島津の間に、反豊臣の連携があったかもしれないという推定は面白い。秀吉が病死しなければ、歴史の異なる動きがあったのかと思うと、実に面白い。2022/09/24
乱読家 護る会支持!
5
本書は鹿児島の歴史博物館・尚古集成館の館長として、薩摩藩の研究をされてきた著者が薩摩の謎に迫る内容。 薩摩は日本列島の端っこ。 だから田舎で後進地域であるとの思い込みを持ってしまう方が多いようだが、、、 日本の端っこである薩摩は世界に開かれている文化の交流地でもある。 秀吉の時代、薩摩は明と合力計画をすすめていた。 家康と通じていた薩摩は、関ヶ原で西軍についていたのにも関わらず、所領を安堵された。2023/02/09
Jampoo
2
文禄慶長の役、家康と島津氏は明と通じて秀吉を排除しようとした、という朝鮮人の記録から島津氏の広範な海上交易ネットワークを解き明かす。 明や朝鮮から島津に来た人材の話、堺や石見銀山と薩摩商人の繋がりなど、島津氏の知られざる力について知れて面白かった。 秀吉排除計画についてはどれくらい現実的な話だったのか他の研究者の見解も知りたいところ2025/03/12
スターリーナイト
1
2023-862023/11/04