内容説明
「西武の天皇」が東京に作り出した「皮肉なユートピア」とは?一九六〇年代、反共親米の政治家・事業家の堤康次郎が築いた「西武帝国」とも言うべき沿線に、なぜ続々と団地が建てられたのか。「アメリカ型」のライフスタイルが体現されたはずの団地になぜ革新勢力が芽生え、「ソヴィエト化」していったのか―西武が走らせた特急「赤い矢」と、団地の時代を象徴する「星形住宅」が織り成した思想空間を描く「空間政治学」の試み。
目次
もうひとつの戦後思想史
88号棟を訪ねて
ひばりヶ丘前史
清瀬と「赤い病院」
野方と中野懇談会
堤康次郎と「西武天皇制」
社会主義と集合住宅
団地の出現―久米川・新所沢・ひばりが丘
ひばりが丘団地の時代1
ひばりが丘団地の時代2
アカハタ祭り(赤旗まつり)
狭山事件
堤康次郎の死
「ひばりが丘」から「滝山」へ1
「ひばりが丘」から「滝山」へ2
西武秩父線の開通とレッドアロー
そして「滝山コミューン」へ
著者等紹介
原武史[ハラタケシ]
1962(昭和37)年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。東京大学大学院博士課程中退。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。著書に『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞)、『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
32
都心から郊外に放射状に離れていくにつれて、団地の集密性という唯物論的条件が、社会主義との親和的距離を決定している。さらに、西武や東急といった運営会社の思想性が、横串のようにその沿線の思想性の微妙な差異を演出している。人間の内的意識が行なうとされる政治は、じつは、外部のモノが人間の無意識を動かしている。鉄道と団地の問題は、職住分離と画一化の問題だと言い換えることができます。なぜ職住が離れているかといえば、本書では、急激な人口増加による新たなインフラと住宅供給にボトルネックがあったためとなっています。ここに恐2019/07/07
Tomoichi
13
戦後の高度経済成長期の西武線(新宿及び池袋線)を「天皇」「鉄道」「団地」をキーワードに思想を軸に読み解いて行く作品。ある程度西武線の地理と共産党やそのお友達について知識がないと難しいかも。私が興味を持ったのは共産党がどのように「細胞」を増殖させてる手口である。ソ連も団地も崩壊し共産党も崩壊すればいいが悪玉菌はなかなか死滅しないもの。父が毛嫌いしていた芸能人や漫画家の名前が出てきて理由を再確認。「オリンピック中止」を訴える共産党ポスターに虚しさを感じる今日この頃。2021/08/09
みのくま
9
西武線沿線の団地群の歴史を紐解くと、新しい戦後史の実像があぶり出される。勿論それは東京西部の一部と所沢周辺の歴史でしかない。だがその狭い範囲の本当の「政治」が露わになる。この手法こそ著者のいう「空間政治学」の真骨頂なのだろう。親米反ソの堤康次郎擁する西武の支配下は、急増する住宅需要に対応する為次々と団地が造成される。その光景は皮肉にも社会主義国家の街並みと類似していた。また実際に共産党が入り込み、コミューン化し自治を行う。そして後続には創価学会が来る。共産公明が堅い固定票を持つ理由がなんとなくわかってくる2019/09/07
chiro
3
小林一三が展開した鉄道の敷設とその沿線の街づくりは五島慶太によって関東でも展開されたがある意味それと同じ形と思っていた西武沿線が全く異なる形で展開されていた事をこの著作で初めて知った。興味深かったのは小林一三や五島慶太が展開した街づくりとは異なる政治家的なアプローチを堤康次郎が結果として行っていたのだという事とそれがどういう形で反映したかは分からないが公団として集合住宅での展開であるが故にその地に根付く文化に昇華しきれなかったのかと感じた。2023/03/18
へいへい
3
西武沿線の裏歴史。自分も沿線で育ったので分かる部分は分かる。住んでた頃から正直、団地にはいいイメージを持ってないが、住んでた人は違う感じ方するんだなあと思った。当たり前か。「滝山コミューン」なるものにも興味をかんじる。2020/01/12