出版社内容情報
自分自身をべつの言葉に置き換え、変化を恐れずに生きてきた――。ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ、アメリカで育った著者は、幼い頃から自らや家族のことを、頭のなかで常にベンガル語から英語に「翻訳」してきた。大人になってから習得したイタリア語に見出した救い、母の看取りなど、自身の半生をひもときながら綴られる、小説を書くことを鼓舞してくれる「翻訳」について考えたこと。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
42
言語を揺蕩うラヒリのエッセイ集。言葉を置き換えるということは変身させる可能性があるのですね。自作を他言語に翻訳する難しさは想像に耐えません。母語と別の言葉、殊にイタリア語に対して真摯な姿勢で文学を紡ぐ想いが伝わってくるようでした。言葉に敏感だからこそ物語を生み出せるのだと思います。2025/05/11
ヘラジカ
38
母語とは別の言語と向き合って、その言語と共に生きること。ラヒリが如何にイタリア語に対して真摯な思いを抱き、文学を紡ぎ続けているかが伝わる良きエッセイ集であった。スタルノーネの『靴ひも』は日本語にも翻訳されているし、非常にユニークで面白い作品なので、この本を読んだ人には是非ともお勧めしたい。2025/04/25
かもめ通信
22
『低地』から9年を経て、久々にラヒリが英語で書いた。 しかも小説ではなく、翻訳に関するエッセイ集のようなものだという。エッセイというならイタリア語で執筆された『べつの言葉で』のような感じの物かな…と思いながら手に取ってみて色々な意味で驚いた。自分と同世代の作家が、次々と新しい扉を開けて、挑戦を続けている姿に感銘を受け、次はどんな作品を生み出してくるのかと、期待に胸を膨らませながら本を閉じた。2025/05/19
信兵衛
16
途中、読むのを止めて放り出したくもなりましたが、著者について知るという上では、貴重なものだったように感じています。2025/05/23
kibita
13
インド系でロンドン生まれアメリカ育ちであり、イタリア語という第三の言語に救いを求めたラヒリ。ラテン語に最も近いイタリア語と西洋古典の奥深さ、学術的な翻訳論の記述に関しては難しくて読み流してしまったが、変容こそ翻訳の本質と言い、死に向かう彼女の母の変容と、イタリア語で書く作家、そして翻訳家となる手がかりとなったオウィディウス「変身物語」のエピソード『あとがき 変容を翻訳する オウィディウス』はとても良かった。しかし、やはり彼女自身が書く小説が読みたい。2025/05/25